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合唱指導者 石河 清 さん
 市制20周年の記念に第九を歌い、14市町村がこころ一つになろう。コバケン(小林研一郎さん)に指揮をさせて、できたばかりのいわき交響楽団が演奏して、有志を集めた市民合唱団が歌う。その計画の中心人物は大黒屋の馬目佳彦さんでした。
 合唱団は市民から募集して600人ぐらい集まったかな。植田・勿来、小名浜、常磐、内郷、平、四倉と、いわき方式で毎週の練習は地区ごとにわけて、月に1度、全体で練習しました。

 当時、コバケンはハンガリーから帰ってきて音楽盛りの時。それに、アマチュアであっても音楽の姿勢には妥協せず、音楽性、芸術性を追求する指揮者です。
 14市町村を一つにまとめるために、みんなで第九を歌ってメンタル的な結びつきを図る社会運動と、コバケンの求める音楽性の間で、世界感が大きくずれていました。合唱、それに交響楽団の練習は続いていましたし、それでいわき交響楽団の客員指揮者だったボイコさんに指揮者が代わりました。
 ボイコさんの第九の解釈と、われわれの解釈はずれてましてね。ボイコさんはブルガリア人。ヨーロッパでも第九がよく演奏されているドイツなどとは違って、ブルガリアではあまり演奏されていない。独断的なところがあり、ゆっくりなテンポなど隔たりがありました。
 「譜面に書いてあるのと違う」と指摘しても言うことをきかず、お互いに歩み寄って、音楽をつくっていきました。合唱団は女性が多くてバランスが悪く、ソプラノはかなり音域が高くて高音部が出ない。それでボイコさんはエレクトーンでカバーすることを提案してきたのですが、「いままで、そんな第九をやったことはない」と突っぱねました。

 わたしは国立音楽大学時代、1年生の時から年に何回も第九を歌いました。昭和29年、カラヤンが来日した時には、芸大と国立の学生で第九の合唱をした経験もあります。30回以上歌って受けたドイツ語の指導を、口移しにみなさんに指導しました。
 合唱は好きだから、その指導に苦労は感じません。声が出ない、うまくハーモニーにならないと感じる時、わたしの力が未熟だからと思います。女声、男声のバランス、リズム…深く追求していくといろいろありますが、こころ一つにというお祭り的なものがありましたので。  人が集まらなければ合唱になりません。人集めに始まって、人集めに終わった感じがします。歌えるようになれば、それでいいとアマチュアは思いがちですが、歌えるようになったところから音楽づくりは始まるのです。

 20年前はとにかく夢中でやりました。「のちほどこの歌詞が出てきますよ」と、会場に聴きに来てくれた人たちに、演奏会当日、全員合唱の指導をして喜ばれました。自分だけ歌って悦にはいるのでなく、歌を聴衆に届け、聴衆とともに感じる。当日、会場にいらしていた名誉市民の畠山靖夫さんも第九に関心を持たれたようです。



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