第13回全国都道府県対抗男子駅伝大会(20日・広島市)の1区7キロを20分で走り抜け、区間賞を獲得したのが柏原竜二君(いわき総合高3年)。全国注視のなか、堂々の走りで2位に9秒の差をつけ、トップで2区にたすきを渡した。東洋大への進学も決まり、思いは箱根駅伝での勇姿。いわき陸上競技場で練習中の柏原君を取材した。
雨の安芸路。2キロを過ぎたあたりからひとりの選手が飛び出した。ブラウン管でゼッケン7が輝いている。「福島・柏原竜二(いわき総合高)」。ほお骨が張っていて切れ長の目を持ち、寒さのせいかいやに顔が蒼白く見える。レースはそのまま進み、47チーム中トップで2区にたすきが渡った。福島が1位で2区にたすきを渡したのは、第2回大会の小川博之選手(田村高・いわき出身)以来の快挙だった。
173センチ、53キロ。柏原君は、いわき陸上競技場のトラックを黙々と走っていた。ゆっくりと体の調子を確かめるようなジョギング。声をかけると少し戸惑いを見せたが、礼儀正しく「はい」と言った。佐藤修一監督の教育なのだろう。浮わついたところのない、謙虚な受け答えだった。
綴小時代はソフトボールを楽しみ、小体連は走り高跳びで出場。持久走でいつもトップを走っていたので、内郷一中に入ってから本格的に陸上を始めた。3年生の時に3000メートルで地区を制し、県で2位になって全国標準記録を突破したが、東北大会では惨敗を喫する。そのころから、精神面での弱さという思いが呪縛のようについて回った。
いわき総合高校に進学したのは、佐藤監督の存在だった。田村高校、順天堂大と長距離で活躍した指導者。その下で自分を鍛えたいと思った。高校に入って練習量が上がり走力はついたが、精神面の空回りと貧血に悩まされた。安定しない成績。「強くならなければ」と焦れば焦るほど、勝利の女神はそっぽを向いた。
「苦しいときに我慢する泥臭い練習」。それを自らに課し、魚嫌いを克服するための努力をしながら栄養管理にも気をつけた。1年、2年と冬のペース走、ポイント走練習に耐えた結果、3年の県総体では5000メートルで14分30秒という自己ベストをマークして3位になった。
全国都道府県対抗男子駅伝。福島県チームには安西秀幸(会津高―駒沢大)、今井正人(原町高―順天堂大―トヨタ自動車九州)など、全国レベルの選手が含まれていた。前日のコース試走の時に下重庄三監督から「1区」と言われ、「最初の1キロは自重し、ペースが遅かったら飛び出せ」とアドバイスを受ける。安西、今井両選手からは「楽に走ろうと思ったら絶対勝てないから、苦しいところ勝負だよ」と励まされた。「強い選手は人間もできている。自分もそうなれれば」と素直に思った。
スタート。ペースは決して遅くはなかったが、3キロ手前あたりで「ここで行かなかったら勝ちはない。自分の役割はレースの流れをつくること」とスパートを決断する。あとは逃げるのみだった。
決して平凡ではないが、だからといって全国的に注目される選手でもない。その柏原君にマスコミが殺到した。無我夢中で質問に答えたあと、冷静になって自分のタイムを確認した。7キロを20分0秒。19分台を出せなかった。その1秒に自分の弱さ、甘さを見た。「長距離は地道に泥臭く」。その思いがよみがえってきた。そして「まだまだです」と自分に言い聞かせるように言った。
大学はさまざまな誘いがあったなかで東洋大を選んだ。誘いのなかには大学駅伝界の勇・駒沢大もあった。「なぜ東洋?」と尋ねると、「箱根駅伝で5位になったときのレースぶりが印象に残っていて。それに強い人ばかりだと埋もれてしまいますから…」と謙虚に笑った。
いわき陸上競技場では、総合高校のチームメイトたちが走っていた。柏原君が1年に入り、やっと男子駅伝チームを組むことができた総合は今年、県高校駅伝で田村に30秒及ばず2位となり、全国切符を逃した。
「確かに悔しかったですが、あのレースはできすぎでした。でも1番印象に残っている。みんなと一緒に練習してきたから辛い練習も乗り越えられた。支えがあったからいまがある。だから駅伝が好きなんです」
| かしわばら りゅうじ 1989年生まれ。内郷一中時代から本格的に陸上を始め、佐藤修一監督を慕っていわき総合高校に進学し、主に中・長距離と取り組む。貧血などに悩まされたが、3年になって素質が開花。全国都道府県駅伝での活躍をはじめ、県総体10000メートルで1位、東北総体5000メートルで3位入賞など実績を残した。東洋大へ進学する。 |
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