なぜ写真を撮るのか。まず知りたい、という気持ちが起こる。次にそこへ行きたい、行ってさまざまな状況を見たらその人たちとつきあいたい、と思う。そして1人ひとりのことを知ったら、その人たちのことをより多くの人たちに伝えたい、と思うようになる。
いま、雑誌のグラビアは増えている。写真雑誌自体も増えている。でも拝金主義が横行していて、伝えたいことではなく、売ることが優先されている。それはジャーナリズムではない。
個人情報保護法ができて、いやにさまざまな権利が大げさに捉えられるようになった。社会も混乱しているのだろう。でも過剰反応はいかがなものか。沖縄の少女を暴行した米兵の写真が出ない、なぜか。「どんな顔なのか見たい」というのが普通の感情だと思う。
例えば写真で雑踏が撮れない、という。でも写っている人にとって不愉快なキャプションがつけられたりする以外は、そんなに神経質にならなくてもいいのではないか。結局は世の中、平和だということだろうか。
いわきの市美展写真の部。写真はみんな上手。しかも工夫しながら撮っている。いわき弁についてはよく知らないが、写真と向き合うと撮った人のつぶやきが聞こえてくるような、そんな気がする作品が多かった。
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