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 田町のスナック「リラ」が3月いっぱいで店を閉める、と聞いたのは「あのころの田町界隈」の取材中だった。もう、何十年もご無沙汰している。それでも格式を感じさせるカウンターだけの店の雰囲気と、毅然とした和服姿のママはすぐに浮かんでくる。「話を聞きたい」と思った。
 「リラ」は新田町通りのレンガ通り沿いにある。その日は雨降りで、ふつうは7時半からだというのに6時に店を開けて取材に応じてくれた。閉店を惜しむ常連客からだろう。店の片隅には、胡蝶蘭などさまざまな鉢植えが置かれていた。

 いまでも鮮明に思い出すことがある。その客は、いつもほぼ同じ時間にタクシーでやって来た。盲目の指圧師。まだ店が混んでいない早い時間で、来るとすぐ自前のカセットテープをママに渡す。ママはさりげなくそれを受け取り、マイクを手に持たせる。するとカラオケが鳴り、その男性が歌い出す。実にいい声、節回しで、そのひとときは男性にとって至福の時のようだった。そのやりとりがいまでもフラッシュバックのようによみがえってくる。しかもその男性は数年前に、夜歩いているところを車にはねられて亡くなったのだという。

 飲屋街の消長は激しい。「リラ」の閉店とときを同じくして、おでんや小鉢の店「蔦」も3月いっぱいで店を閉めることになった。「この通りも変わっちゃって。昔から続けているところは本当に少なくなった」とママがつぶやいた。ふと、「蔦」の無口なおかみさんの無愛想な横顔を思い出した。「リラ」は24年、「蔦」は40年以上も新田町通りで商売をしてきたのだという。
 会社の縦社会が崩れ、接待がなくなり、酒をがぶ飲みする人が少なくなった。若者は携帯と車のローンとガソリン代にお金を使うようになり、上司や先輩からの酒の誘いをきっぱりと断るようになった。そのせいか、バーのカウンターには熟年組がニコニコと陣取っている。

 「最初は2カ月だけの手伝いのはずだった。それが引き継いでずっとやることになっちゃって。いい出会いがいっぱいあった。でももう70歳超したから。101歳の母がいい加減にしろ、って。やることはたくさんあります」
 「リラ」のママ、麦谷恵子さん。また1人、田町人名録から名前が消えた。



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