4月20日午後3時、アリオス大ホールで小林研一郎さん指揮の、第九コンサートが開かれ、歓喜のメロディーが響き渡った。オーディションで選ばれた、いわき市民第九の会合唱団員217人が約半年、21回の練習を重ねて本番に臨んだ。選ばれたものとしての責任、シラーの詩の意味を体に刻みドイツ語をベートーヴェンの音に乗せる難しさ、N響との共演というプレッシャー…。そうしたものを乗り越えての、このメンバーとしては1回限りの晴れ舞台だった。
4月12日夜。アリオス大ホールの舞台に市民合唱団のメンバーが立っていた。本番まで1週間に迫っていた。舞台のそでから小林研一郎さんが登場した。合唱団が大きな拍手で迎えた。いよいよ本番に向けての最後の仕上げ。12、13日と小林さんが指導し、コンサート前日の19日はN響を交えてのオーケストラ合わせ、そして当日、本番前にゲネプロが行われる。メンバーたちは緊張していた。
合唱団は昨年10月6日に行われたオーディションで、403人のなかから225人が選ばれた。内訳は女性153人、男性63人。最年少は15歳、最年長は79歳だった。以後、ほぼ毎週練習を重ね、途中でやめた8人を除く217人が舞台に立つことになった。
小林さんの指導は厳しいことで知られ、さまざまなエピソードが伝えられている。しかし12、13日、そして19日のリハーサルでの指導は音の強弱や歌詞の意味、ドイツ語の発音など細かいニュアンスを穏やかにチェックすることに終始した。そして静かに「第九」を演奏する意味や精神を語った。それは合唱団の仕上がりが1つのレベルに達していることの証といえた。
「ホールというのはみんなの気持ちを吸収するんです」「みんなの気持ちを一つにするとベートーヴェンが入ってくるんです。真理に満ちた思いがもっと深くて、遙か彼方まで心が届いていくように歌って下さい」「コンサートではお金を取るんですよね。アマチュアだと思わないで。プロだと思って歌ってください」「いいですか。レコードにも間違いはあるんです。軍隊風じゃだめなんです。もっと優しく、心を込めて」―コバケンの一言ひと言がメンバーの体に滲みた。そして財産になった。
20日。演奏会当日。アリオス周辺は華やかな雰囲気が漂っていた。ビュッフェカンターではワインやビール、コーヒーを飲みながら談笑する市民の姿が目立つ。そこはちょっとした社交場だった。
午後3時。合唱団、NHK交響楽団、小林さんの順番でステージに現れた。式台に立ち、ひざを曲げてタクトを掲げ集中した小林さんが、いったん台を降りた。そして会場に向かって「本日はありがとうございました。このホールは非常に響きます。みなさまプログラムをひざの上ではなく、床にお置き下さい」と言い、気を取り直して第一楽章が始まった。
コバケンがひざを折り曲げ、髪を振り乱して全身をしならせタクトを振っている。N響の弦がそれに応え、会場は「第九」一色に染まった。
そして第4楽章。低いコントラバスの音色が静かに、しかも荘厳に歓喜のメロディーを奏で始め、バリトンの独唱に移り、市民合唱団の歌声がこだました。小林さんは「コバケンマジック」と呼ばれる見事な指揮で、合唱団を鼓舞し、励まし、注意すべき点を体全体で指示した。合唱団は、それに勇気づけられるように強弱や発音に気をつけ、音に気持ちを乗せた。
「渾身の力をこめて、オーケストラを超えて聴衆を超えて、宇宙の果てにいる神に届くように。そして光がみなさんのところに戻ってくるように…」。コバケンのタクトが、そう語っている。合唱団はそれに応えるように、全身全霊を込めて歌った。そして、思ってもみなかった達成感と連帯感、観客からのスタンディングオベーションを手にした。
小林さんの細くて優しい目が合唱団に向かって、語っていた。
「この半年間、家庭を犠牲にして大変だったでしょう。本当にごくろうさまでした。きょうこうして音楽を愛してやまないみなさんと接して、みなさんそのものが文化だと、そんな感じを持ちました。本当に嬉しく思います」
合唱団の長いような短いような半年間が終わった。
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