金がない。そうした現状のなか、どう行政の舵をとっていくのか―。国民、住民の最大公約数を判断する方法が問われる時代に入った、ということではないのか。
役所はかなり疲弊していると思う。その考え方が、力を失ってきた。それは県も国も同じで、まったく変わりない。住民との考え方のかい離が目立つ。例えば、後期高齢者医療制度など、さまざまなものが国会内の委員会などでガッチンガッチンして、さほど差のない評決で決まっていく。システムに問題があるとは思うけれど、制度だから仕方ない部分はある。そんなことが、少しの間続いていくのだろう。
民主党は「2大政党制」を声高に叫ぶ。シャドウ内閣をアピールする。3年前だったか、ある集まりで民主党の面々に言ったことがある。イギリスの労働党と保守党は根っこのイデオロギーが違う。民主党は結局、第2自民党だろう。自民党がやっている政策とどう違いが出るのか。「政権も取れないのに影の内閣なんて、恥ずかしいとは思わないのか」と。
道州制が話題に上っているが、日本は基本的には単一民族国家であり、はっきりとした宗教の違いもない。なじむだろうか。各省庁を空中分解できるだろうか。国、県、各自治体といういまのシステムは、日本的に修練されたものではないのか。県がある方が現実的にうまくいくと思う。
協働という言葉がある。行政をコンパクトにすることは間違っていないと思う。行政がやることを肥大化させていくのは物理的に無理。要は、小さな政府のやり方、協働の真の意味だと思う。その基本的な考えは「行政は税金で全力投球する。そこで足らないものは住民に協力して頂く」ということではないか。金がないのでお願いしたい、というのは好きではない。やることも満足にしていないのに要求ばかりして…。それでは話の筋が違う。肝心なことを魂を入れてきちんとやらないと意味がない。
その方法は行政が試行錯誤しなからつくりあげていくもので、「ただでやって下さい」では協働にならない。わずかでも最小限の経費・報酬はきちんと負担すべきだと思う。その結果、「やってよかった」と思えることが大事。
矢祭の「第2役場」構想というのがある。現在準備期間で、そろりそろりと動き出した。ベースは再雇用・再任用制だが、単なる天下り、人材派遣会社になってしまってはいけない。へりくだる必要はない。キャリアを生かすということだから、意味のある仕事をしていかなければならない。一般
行政のなかで第2役場は何を担うのか。福祉なのか教育なのか…。場合によっては学者を連れてきて専門部会を設置し、あり方を検討するのもいい。権威を持たせ、意味づけすることが大事。第二役場の仕事は、役場職員の行政マンとしてのキャリア・ノウハウを生かすことで、だれでもやれる仕事をやらせることではない。町長や副町長をつくるのもひとつのやり方だと思う。
「もったいない図書館」も公費を導入して、町民が希望している本を買うという話があったが、それは間違っている。それはこの図書館が、寄付者の善意・思いで成り立っているから。自分が読んだ本を寄付するというのは大変なことだ。その思いを知らなければならない。図書館とはあくまで、自分が買えない本を借りるところで、雑誌やDVDは自分で買えばいい。図書館になくてどうしても必要な本は、また全国に発信してお願いすればいいのではないか。そうした方がこの図書館の存在意義、経緯に合っている。
為政者たるもの、公約は守らなければならない。かつては選挙での発言は選挙用のリップサービスで、実務は別という考え方だったが、マニュフェストの考え方が浸透し、公約は実行義務になった。「君子は豹変す」という言葉はあるが、公約を豹変させてはだめだ。約束を違えてはだめだ。いわきの櫛田一男市長とは旧知の仲だが、血液が通っている人だと思う。だから「なぜ約束したことができなかったのか」を、公の場できちんと説明しなければならない。
いわきの芸術文化交流館(アリオス)。200憶近い金が投入されたと聞いている。はたして、いわき市民にとって使うべき200億円はこのハコだったのか、とは思う。
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