源氏物語を真似て作った擬似源氏というのがあります。初めそれを研究し、そのうちに大学院で源氏物語に移り、30年、源氏物語一筋です。まず、うつくし、おかし、あわれなど、美的語彙から入りました。それから書や絵画換言ともドッキングさせ、芸術論を視野に見て、やがて物語の世界に入り、構成論や人物論から始めました。
源氏物語は厖大で、謎もたくさんあるので、それを突き詰めていきました。続けていくなかで、問題点が何かがはっきりし、わたしの場合、巻の順序に至りました。矛盾を探っていくと、過去の大きなテーマに行き着かざるを得ませんでした。
本を3冊書いています。『源氏物語 展開の方法』『源氏物語 成立研究』『紫式部伝』。作品論から作家論、そして全体像が見えたという感じです。
源氏物語が書かれた時期については、根拠のない説が入り乱れています。ただ、書き始められたのが出仕前であることは確かです。昭和2、30年代に成立論という、巻の順序を問う研究がありましたが、執筆時期までには至っていませんでした。しかも順序も決め手を欠いていました。
わたしの場合はかつての成立論の復権のみならず、執筆時期までの根拠も示しているところにオリジナリティがあり、プラス、紫式部の生涯も浮き彫りになります。説だけでなく、いろんな方面から実証されていると思っています。
幼子を抱え、未亡人になった紫式部は、源氏物語を書くことで、新たな希望の道を見出そうとしたと思います。得意な物語を書くことによって、自分に付加価値をつけようという意識もあったのではないでしょうか。それが一番いい摂関家の就職口に結びつくわけですから。再婚はしないという意志を持っていたので、状況を打破する糸口として物語がありました。
それまで発表した物語が断片的に伝わっていたでしょうが、一つの大きな物語にまとめられたのは御冊子作りです。それまで書いた、わたしの予想で帚木三帖(帚木、空蝉、夕顔)ですが、それも御冊子作りの中に組み入れられたと思います。それが最初に源氏物語を大がかりに公表したので千年紀なのです。
わたしの新見解ですが、巻の矛盾を整理したのと紫式部の置かれた状況とを重ねると、執筆時期がわかります。いままで論議されているなかでの矛盾点をわたしなりに捉え直しました。
出仕前に帚木三帖、出仕後から御冊子作りまでに桐壺から藤裏葉まで、現行巻序で言うと、そのうち逢生、関屋、玉鬘十帖は御冊子作り以後、彰子中宮の妹の妍子が東宮に入内するまでに執筆されました。若菜上からはそれ以降、紫式部が彰子のもとを辞したと推定される1014年正月までに書かれました。そのなかで紅梅は早蕨の次、竹河が最後と考えています。
紫式部は死ぬ直前、体調を崩して彰子のもとを去るまで源氏物語を書いていました。没年の説は、従来の説に則れば1014年。書いた段階では自ら「もうこれで源氏を終えますよ」という意思表示を、巻の中に盛り込んでいる。ですから源氏五十四帖は完結と見ていいと思います。
本来なら、源氏物語は御冊子作りで終わってもよかった。でもそれは許されない状況でした。最大の読者の1人、彰子中宮の元で書いているので、書き続けることは紫式部に課せられた使命。それを忠実にやっていったから五十四帖の大作になりました。
体力的なことも含めて、常にお勤めをやめたいという思いがありました。一方で、源氏物語が新しい生き甲斐になったことも確かで、書き続けられる限り書いたのです。
紫式部は才能がありましたが、波多き女性だと思います。結婚、就職、出家など、すごく考え、自分のやったことに対して常に反芻する。「これでよかったのか」と。だから天才作家の一言では言い表せません。それがまた源氏のもののあわれの世界に通じ、共感もできます。
源氏物語を繰り返し読むことが楽しみです。いままでやったことを頭に入れて、もう一度読むと、また新しい魅力が出てきます。最大の謎は勧修寺流、具平親王、帚木三帖のキーワード。この3つのキーワードによって、紫式部の前半生を明らかにします。
それが源氏物語の出発点と重ねられます。前半がわかると後半もわかり、紫式部の人生そのものと源氏物語との連動した解釈ができます。シェークスピアも、書いている事情がわかっている場合が多いです。作家がどういう風に書いていったかをわかることが、これから千年読み続けられる必須条件です。
紫式部という人生とタイアップしながら読むと三次元的に浮かび上がってくるので、それこそが現在、求められていることだと思います。源氏物語は研究し尽くされたのではありません。焦点があたっていなかった部分があるから、源氏のさらなる魅力をわかってもらい、世代に繋げていかないといけません。
海外では紫式部の源氏物語は、世界文学として認められています。日本人のアイデンティティーとして外国人にある程度説明できることが望ましいし、それは国際社会で重要な意味を持ちます。外国人がわかっていることを口に出せないと、日本人のアイデンティティーが疑われます。
ここ十数年、源氏物語のゆかりの地を巡っています。書いてある土地勘を知ることも重要で、現に残っているので、行ってみようと思いました。昔のものの手がかりが名所・旧跡にはあり、そういうものにふれることが、源氏物語を知る手がかりになります。主要なところはほとんど行きました。
現場を歩くと、その場に半日いたりするので、くまなくその場面が見え、源氏物語が面白く読めます。都からこう行ってと、三次元的に浮かび上がり、当時の読者の意識に近いのではないか思います。読みの楽しさが膨らみます。 |