「旧城跡の物見が岡周辺の土地を地主が手放すらしい。民間開発業者の手に渡ったら大変だ。調べてみてくれ」―。ある夕方、偶然訪ねたところでそう言われた。城跡の土地を篤志家が買い取り、市に寄付して鶴ヶ城が再建された会津若松とは対照的に、切り売りされて宅地になってしまった磐城平城跡。しかし本丸があった物見が岡だけは、民地でありながらも、ほとんど手つかずの状態を保っている。それがここにきて「売りに出される」という噂が飛び交い、「どうなるのだろう」という声が上がっている。歴史的価値や住民の思いが強いあの場所をどうすればいいのか。その経緯や現状を取材した。
噂の発端は、土地所有者の死。あの土地は不動産業などを営んでいた故・猪狩四郎氏が持っていたが、四郎氏が亡くなったあとは、夫人で真砂不動産社長のヨシ子夫人が所有していた。ところがこの5月にヨシ子夫人が逝き、つい最近、その長男の佳久氏も亡くなって、実質的な後継者がいなくなってしまった。そこで権利関係が複雑に絡み合い、「土地売却」の話になったらしい。
あの場所はいま、鉄格子で閉ざされ、だれも入ることができない。そして格子のすき間から中を覗くと、空き地になっているところにいまもコンクリートの土台と鉄筋が残っている。
昭和39年に「平城建設期成同盟会」(会長・諸橋久太郎元平市長)が発足、工事も始まったが資金難のために頓挫。その後も市議などが中心になって城建設へ向けて動いたものの、立ち消えになった。岩城光英市長時代にも史跡公園にしようと調査している。膨大な予算が伴う埋蔵文化財の発掘調査がネックになって、悪臭がひどかった丹後沢を整備するにとどまった。
市などによると、旧本丸区域の面積は約14000平方メートル。法律では千平方メートル以上の開発行為の場合は埋蔵文化財の発掘調査を義務付けていて、調査にかかる費用は1億円以上だという。
もし、売却の話が本当ならば「歴史的価値」という観点から市が買い取るのがスムーズなのだろうが、市にも安易に「買います」と言えない事情がある。
まず土地を買うには利用目的がはっきりしないと議会の同意が得にくいこと。あの場所は何回か史跡公園や城建設の検討に入ったことはあるが、明確に実施計画には組み込まれていない。櫛田市政としてもアリオス、ラトブの建設、いわき平競輪場の改修と、平地区に大型プロジェクトが集中、「どうして平だけ」と他地区から突き上げられている、という弱みがある。
そうした事情もあってか、市は「あそこは発掘調査に膨大な金がかかるうえに道路が狭隘で行き止まり。民間業者もそう手が出せない」と都合のいいように結論づけて知らんぷりを決め込んでいる気配が見てとれる。
市が新しい事業を興す場合、庁内のコンセンサスを得て財政的なバックボーンを確保し、実施計画に乗せる必要がある。ただ現状は大型プロジェクトが続いたうえに三位
一体の改革などで財政的な余裕がなく、市長からのトップダウンがないと難しい。しかも「1期目にこれ以上平に資本投下するのは無理」という方針が立てられ、美術館の増設も先送りされているのが現状なので、議会や市民からのかなりの盛り上がりがないと厳しい、という見方が強い。
これに対してあの場所に思い入れのある人たちは「あそこにはかつて三階櫓があり、平を治めた殿さまが住んでいた。とにかくあの歴史的に価値のある場所を守る必要がある。まずは土地を買い取り、芝生を植えて憩いの場とし、市民に開放するだけでもいいのでは。開発しなければ、発掘調査も必要ない。民間業者の手に渡ってしまったら、発掘費用をかけても業として成り立たせてしまう。そうなったとき、お城山を見てため息をつくしかない」と話す。
|