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プロフィール
あかさか・のりお 1953年、東京生まれ。東京大学文学部卒業。東北芸術工科大学教授で、同大東北文化研究センター所長。父親は鮫川村出身。4月から福島県立博物館長に就任。東北から日本、世界に開かれている独自の東北学を展開している。著書は『異人論序説』『東北学へ』など多数。


 東北を歩いて、そこに住む人々の話を聞き、独自の東北学を提唱している、東北工科大学教授で、福島県立博物館長の赤坂憲雄さん。歩き回りながら、東北の多様性を実感している。持論は「それぞれの東北学」。赤坂さんに東北学、東北の現状とこれからなどを聞いた。


■いくつもの東北

 15年ぐらい前、柳田國男の勉強を始めました。日本文化論を読みながら東北を歩き始めましたが、その文化論に対する違和感を持つようになりました。『雪国の春』(昭和3年刊)には下北(青森県)の稲のことが出てきますが、調べていくと、下北に稲の風景は認められない。200年前、下北の主食はひえで、ひえを作っていた。しかし、1カ所もひえの話は出てきません。
 東北のイメージというのが、最初は1つの東北というイメージだったですね。『遠野物語』に象徴されるような東北というものが東北一円どこにでもあるのだろう、というイメージ。歩き始めてみると、東北の南北、東西の多様性、いろんなものが見えてきて、1つの東北ではなくいくつもの東北がある、ということに気がついていったのが、この10年ぐらいの僕の中の歴史ですね。

■お国自慢

 東北学という地域学は前県立博物館長の高橋富雄さんが最初に提唱されて、歴史家の立場から東北の歴史の掘り起こし、文化の再評価を精力的に行われてきた。その延長に自分がいると思っています。ただ、思うのはそれぞれの東北学がある、ということです。僕が展開しているのは赤坂憲雄の東北学。それぞれの土地からそれぞれの東北学が構想されればいいんだと思っています。
 ただその時に、なぜ東北学なのかというのはあるんですね。東北学は地域学の1つですが、大変広いです。山形学や会津学とか、そういう小さな地域を拠り所にした地域学とは違う。小さな地域学というのは、その地域に生きる人たちのアイデンティティを、地域の歴史や文化や風土を拠り所にしてつくろうとする、血の運動だと僕は思っています。
 自分とは何かということを、地域を拠り所にして考える。それが地域学の基本のラインだと思うのですが、いわきならいわきという土地の歴史や文化を掘り起こす時に、閉じられた方向に向かう動きが必ずありますね。わかりやすく言えばお国自慢。地域学の多くがその道具にされてきた歴史がある。僕はお国自慢を否定しませんが、お国自慢に身を閉ざしていたら、新しい地域に生きるアイデンティティをつくれないだろうと思っています。
 お国自慢は結局、同質の中で均質化されたある種の地場の中でしか成り立たないじゃないですか。そういうものが外から来る人たちにどのように受け入れられるのかということに対しての意識が希薄なんですよね。だから地域学が閉じられた同質なアイデンティティを求める方向に行く限り、終着点はお国自慢である。そしてお国自慢が他者を拒むような形で組織されるのであれば、それは普遍性を持たないだろうと思っています。

■それぞれの東北学

 そこで東北学なのですが、最初は1つの東北を探して歩き始めたのですが、すぐにわかった。1つの東北は存在しない、いくつもの東北が多様な形で歴史にも現代にも見られるんだ。そのいくつもの東北というものを前提とした東北学をつくっていくことによって、東北に生きる人たちのアイデンティティを、1つに向かうのではなく、いくつもの多様なるもの向けて開かれていくような形でつくっていくことができるのではないかと思い始めた。
 東北学というものを1つ開かれた形で置いておく。東北の多様性はもっと日本列島の大きな広がりの中のいくつもの日本につながっていく多様性である。それは同時に、いくつものアジアにも開かれている。自分とは何かを考える時の、閉じる方向ではなく開く方向に開かれる方向に、東北というものを設定した時は行かざるを得ない。
 自分を認めてもらうことは他者の歴史や文化を認める、その関係の中でつくられていくものだと思いますから、我々が今、必要としているのは開かれたアイデンティティをどのように形づくっていくのか。それは地域、日本を舞台にしてもそうだし、アジアの中の日本、日本人というものを再認識していくにも自分たちが日本人という1つの均質性に固まっているのではなくて、実は自分の中にも異質なものがたくさん流れ込んでいる、内なる他者を抱え込んで自分がここにある、歴史そのものが非常に重層的に形づくられている、と考えていった時に、アジアの人たちとの関係も変わってくるだろうと思っている。
 だから、それぞれの東北学がある、ということは強調しておきたい。

■帰る帰郷

 父親が福島の鮫川村の出身で、兄たちは福島で生まれ育っています。僕自身は東京で生まれて育っているけれども、父親の代に遡れば鮫川村は生まれて育ったところ。さらに先祖を遡ればと考えると、東京に暮らしている人間たちのほとんどは2代、3代遡ると地方出身者じゃないですか。そのことを考え続けていて、ある時、帰る帰郷、帰郷の時代ということを考え始めた。自分が東北学を始めたのも、この時代の故郷に帰る帰郷の1つのあり方なのかもしれない。
 東北のじいちゃん、ばあちゃんを訪ね歩いて話を聞くことをずっとしてきて、つくづく思ったのは、東北の20世紀は故郷を棄てる方の棄郷の時代だった。ひたすら東京へ、故郷を棄てることをみんながやった。その果 てに今、東北の現実がある。故郷を棄てる棄郷の時代から20世紀の終わりになって、帰る帰郷の試みががささやかな形であれ始まっているのではないか。自分が始めた東北学というのは帰郷の1つの試みなのかも知れない、なんてことを考えました。

■可能性の芽は“人”

 デザイン会議という大きなイベントがあって、東京から100人単位の学者や知識人やタレントがやって来て、さまざまな会場を使ってイベントをやった。それを見て感じたのは、いつまで東京からやって来る出稼ぎ知識人を迎えて喜んでいるのだろう、こんなもの何も残さないのに、ということ。外からの訪れ人をありがたがって、自分で自分についてきちんと考えない。他人を稀有しなければ自分を発見できないというのは、ダメなんじゃないのか。
 構造はどのくらい変わってきているのかわからないが、東京との関係はまだまだ変わっていない。ただ小さな動きとしては可能性の芽が生まれつつあると思いますね。それは人。訪れ人に身を預けてしまうことをしないで、自前で自分の頭で考えて何かをやろうとする、小さな動きが少しずつ現れている。自分で考えることを1人でも、2人でも現れてくることが、大きな拠り所になる。

■地域を開放する

 地域は生まれ育って暮らしている人たちのものというイメージがある。それは正しいがこれからの時代の地方はもう一段開かれたイメージを持つ必要があると感じますよね。地域づくりが活発に行われている土地を訪ねると、その中心に帰郷者がいる。帰郷者たちが発言する場を得て働いている所は元気ですよ。不思議なくらい帰郷者がキーパーソンになっている。
 地域を生まれ育った人たちのものだという思い込みから開放してやる。地域というのを、その土地でずっと暮らしてきた人たち、一度出て戻ってきた人たち、さらに極端なことを言えばイベントで訪れる人たちの、さまざまな絡み合いの中で考えていく必要があるんじゃないかと思います。




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