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若松光一郎
取材ノートから
スナックママ殺人事件画家の死

画家の死


 平成7年11月12日、その日は秋の日差しが眩しいほどに降り注いでいた。その会場には、カザルスの「鳥の歌」が響きわたっていた。2分弱の短い曲が何回も何回も繰り返し流され、カザルスのチェロが一人の画家の人生を格調高く輝かせていた。
 若松光一郎、享年81歳。シンプルでさりげない 告別式だった。

 若松さんは作品そのものが人格だった。和紙の裏にカゼインカラーという独特の絵の具を塗り、張り付けていく抽象のコラージュ。そこには、人間や自然を超越し、宇宙の広がりを感じさせる大きさがあった。何ともいえない品のようなものが漂い、音楽が聞こえてくるような作品ばかりだった。「お城山」と呼ばれる旧城跡の自宅から歩いて平の市街地に下りてくる若松さんを何回か見かけたことがある。白髪に哲学者のような目。夏はTシャツやボタンダウンのシャツにコットンパンツ、冬はクールネックのセーターにコーデュロイのパンツ…。その姿と遭遇するたびに、いわきという南東北の地方都市でただひたすら絵を描き続けてきた「若松光一郎」という画家の生涯を追いかけたい、という思いが強くなり、「いつ活字になるかはわかりませんが、話を伺わせていただけませんか」と、電話することになる。若松家通いが始まった。亡くなる1年半ほど前だったと思う。

 若松さんはごまかしを嫌った、さらに金に縛られることも、世の中に存在する権威や階級も認めようとしなかった。相手を丸裸にし、あくまで人間として付き合おうとした。嫌になるとピシャッと扉を閉ざし、会おうとしなかった。自分のお気に入りを限りなく愛する自由人だった。
 取材は正直言って大変だった。音楽の話になると多弁になるのだが、肝心の絵の話になると口が重くなる。ノートはなかなか埋まらなかった。しかし訥弁の中に、目を見張るような珠玉の言葉があった。「街はすべてが灰色だった」。原爆が落とされた直後、広島の爆心地へ行った時の印象を、若松さんはそう語った。そうひとこと言ったきり、「思い出したくないんだ」と、口を固く閉ざした。その時、若松さんの底流に深く流れている「反戦思想」のようなものを見たような気がした。決して「平和」とか「反戦」などと、声を大にして叫ばなかったが、あの目の奥に深い悲しみと怒りがあることを知った。

 ある日、若松さんがポツンとつぶやいた。「葬式の祭壇とか花輪ねぇ。あれ、なんとかならないのかな。僕が死んだときはくされ坊主のお経なんかじゃなくて『鳥の歌』で送ってほしいな」。
 平成7年。その年の夏は暑かった。居間のソファに座り、呼吸を苦しそうにしている夫の姿を見た紀志子さんが無理に病院に行かせると、片肺が真っ白の状態で、すぐ入院となった。9月27日のことだ。その後、安定した状態が続いていたが、ほぼ1カ月後の11月7日朝、若松さんは眠るように息を引き取った。それこそ燃え尽きるような最期だった。
 前の日の夜、8時ぐらいまでテレビを見ていた若松さんは、朝、水を欲しがった。午前6時ごろのことだ。ゆっくりと水を飲んだあと、付き添いの女性がふと若松さんを見てみると、亡くなっていることに気づいた。まさに大往生と言えた。
 通夜と告別式。会場にカザルスの「鳥の歌」が流れた。若松さんが亡くなった翌日、紀志子さんを訪ね、「鳥の歌で送ってほしい」と話していたことを伝えた。紀志子さんは「ああ、そうなの」と頷き、若松光一郎らしい葬儀を行うことを決めた。壇上には純白の大きなパネルが張り付けられ、遺影と遺骨と作品、さらに画家活動のベースにしてきた新制作協会の旗と白い生花のアレンジメントがあるだけ。実に清楚で精神性の高い告別式だった。

 カザルスは音楽を通して戦争の愚かさを訴え続けたスペインのチェリストだった。その象徴とも言えるのがカタロニア民謡をもとにした「鳥の歌」で、平和を願い国連でも演奏されたことがある。若松さんは自らの死に、少し照れながらも意味を込めたかったのだろう。自らの生きざまを作品の中にじわっと込める若松さんらしいこだわり、と言えた。

 若松さんを思い出すと、必ず市立美術館に収蔵されている代表作「大地の歌」を見に出かける。その3枚組の大作コラージュには見るものを壮大な自然や悠久の時に誘う魂のようなものがあり、人生の奇跡まで深化させてくれる力がある。コントラバスの重低音が聞こえるような存在感が見る側を圧倒すると同時に品が良く、心のもやもやを吹き飛ばしてくれるような爽快感がある。そして、永遠の波動を放ち続けている。「大地の歌」は若松さんの人生そのものなのだと思う。

2001年9月





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