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その女性は自分を「映画作家」と呼んだ。面識があるわけではない。テレビで見ただけなのだが、その生き方や考え方に引き込まれた。河瀬直美さん。30歳。NHKテレビ「テントでセッション」に、歌手の加藤登紀子さんが招いた。そして、加藤さんは招いた理由をこう説明した。
「私たちの世代は、それまで築いてきたものを壊し続けた。政治って何?、なぜ歌うの?、それをしなければならないのはどうして?―そう問いかけ、既成のものをメチャメチャにした。でも、この子がつくる映画は、私たちがメチャメチャにしたものの中から大事なものを拾い集め、結晶にしたような美しさがあった」
河瀬さんは幼いころに両親が離婚し、遠縁の夫婦の手で育てられた。映画作家としてのデビューは行方不明の父を捜すドキュメンタリー映画「につつまれて」。いわば個人的ともいえる「父親捜し」という行為を、自らの感性で
映像化し、台詞の少ない独特の手法が注目される。「映画作家・河瀬直美」のスタートだった。「あんたは余計なこと言わんでいい。映画で語ればいいんやないの」―友だちの言葉だという。しかし、彼女は問われるままに、自分のことを話し始めた。開けっぴろげに、悪びれることなく、堂々と…。そこには、甲冑など着けず、手にも何も持たないで、ただ裸の自分だけで勝負している一人の人間がいた。
「プロデューサーがだんなさんだったのよね」「はい、元夫です。私って映画をつくっている自分と夫婦でいる自分の使い分けができないんですわ」。彼女は、ごく自然に、こう答えた。
河瀬さんは、さらに言う。
「あるシーンを撮影しますよね。すると撮ってて『こりゃ、借り物だな』って思ってしまうんですよ。そこでストップし、自分のシーンを模索します」
この言葉の意味は重い。テリー伊藤さんは「現代の日本は二番手文化」と言っているが、事実、「亜流」が当然の顔をして社会を席巻している。「みんなと同 じ」という妙な安心感が、オリジナルなものを異端視して潰している。その結果、群れないと不安、とでもいうような均一化現象を生み、社会が病んでいる。ふと、自分を冷静に見てみると、借り物の甲冑を着け、みんなと同じ武器を持って社会に媚びている姿が、鏡に映っていたりする。これは由々しきことだろう。
河瀬さんは、自分が裸になっても、ありのままの自分なのか疑念を持つ。自らの表現を追求するために、皮膚や肉を突き破り、骨や心臓まで明らかにしようとする。それは、凄絶な作業のはずなのだが、本人の周りには、なぜかさわやかな風が吹いている。その、さりげなさ、が何とも眩しい。
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