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 小名浜の「タウンモールリスポ」に、そのおもちゃ屋さんはある。「キンダーボックス」。かつて「キンダーガーデン」という子供向けの雑誌があったが、店名はそこから取った。
 ご主人の高木さんは、以前「キディランド」に勤めていた人で、行きつけの飲み屋でよく会った。大黒屋内の「キディランド」でおもちゃを売り、仕事が終わると、大黒屋から田町まで歩いてきてちびちびと飲み始める。そして、電車の時間を見計らって、泉へ帰っていくのだった。
 「おもちゃ屋さん」という商売に夢を持っていた高木さんには、「自分が思っているような店をつくりたい」という強い意志があっ た。それを実現するには独立しなく、奥さんと一緒の厳しい船出を決意した。
 その後のおもちゃ業界は、ファミコンやパソコンの出現で「メルヘン」などという言葉とは、無縁の状況に陥る。 大黒屋からはキディランドが撤退し、子どもたちが目を輝かせるようなおもちゃ売り場は姿を消した。そして「おもちゃ屋」といえば、全国横並びのチェーン店ばかりになり、個性というものがなくなった。さらに、ファミコン専門店とファンシーグッズの店に二極分化し、おもちゃ屋らしいものといえば、あの無味乾燥な「トイざラス」だけになってしまった。
 「キンダーボックス」も当然のように苦しい時代が続いた。理想と現実の狭間でもがき続けた。しかし、高木さんは「子どもにとって質が良く、普遍的なもの」の仕入れをやめようとはしなかった。木のおもちゃにこだわり、珍しいテディ・ベアを飾り続けた。持ったときの温もりや子どもたちの可能性を伸ばせるものを、一番大事にした。自分の感受性が子供時代に読んだ「キンダーガーデン」や絵本が与えてくれたものだと信じ、「キンダーボックス」という名前に恥じるようなことはしてはいけない、と自分に誓った。
 先日、高木さんとばったり会った。「リスポ」は従業員の方が多いぐらい閑散としている。しかし、高木さんは元気だった。「キンダー ボックス」には、「よくこんなものが」と思うほどの木の玩具などが並べられ、渋い光を放っていた。そして、高木さんはこう言った。
 「やっと思っていたような商売ができるようになったよ。だれに媚びる必要のない、自分好きな商売がね。良さをわかってくれる人は遠くからでも来てくれる。だから場所は関係ない。どうしても欲しい人は、自分で探し出してきてくれるからね。それが、口コミになっていく。生活できればいいんだ。よけいに儲ける必要なんてない。だから、かえって気が楽だよ」
 おもちゃ屋さんは、子どもが目をキラキラさせ、父親も母親も童心に帰れる場所でなければならない。季節やさわやかな風を感じさせ、体の中に持つ純真な心をよみがえらせる機能を持たなければならない。そして、夢を与えてもらった大人たちは、そうした店をそっと支え、次世代に残す責任がある。

2001.7.11


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