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地域紙


 このコラムのタイトル「案山子(かかし)の眼」は、地域というか地方にじっとして動かない人間から見た社会観のようなものが書ければ、と思ってつけた。言ってみれば「定点観測的思想」だろうか。
 「時が過ぎるのではない」「人が過ぎるのだ」―田村隆一の「Fall」という詩の一節だ。いわきというフィールドで記者活動をし、さまざまな出会いを繰り返すたびに、このフレーズが何回浮かんでは消えたことだろう。そして別 れの宴では、去っていく人たちに「いわきを書く」という思いを託され続けてきたように思う。

 今回、「地域紙のアイデンティティー」をテーマにしようと思ったのは、一連の大黒屋報道を読んだからだ。地元紙と呼ばれる福島民報、福島民友、いわき民報の記事はいずれも現象面 に終始していて検証がなく、読者が知りたい情報を十分に伝えてはいなかった。
 「馬目さんは、なぜ自己破産を決意したのか」「市民は大黒屋がなくなって本当にいいのか」「大黒屋はどう責任をとるべきなのか」…。そんな思いが次から次と湧いてくるのに、地域にこだわることを標榜している各紙の、どこを読んでも通 り一遍の記事ばかりで、心の中の欲求不満が日に日に大きくなっていった。

 地域紙の記者は、そこにとどまり続け、地域とともに生きていく。まちの悲しみも喜びも苦しみも、自分のこととして一緒に背負っていく。だからこそ、自分のまちに愛着を持ち、時には、深くかかわり過ぎて書けないジレンマと闘うことになる。
 しかしそれを振り切るのは、「何が地域のためなのか」という使命感であり、裏も表も知ったうえでの真の温かさ、だと思うのだ。

 大黒屋は創業百年目に自らの手で幕を下ろした。商業面での「いわきのシンボル」ともいえる老舗デパートの消滅は、「いわきの崩壊」をも意味するビックニュースのはずだった。しかし地域紙は、自己破産の問題点や今後の道標を示せなかったばかりか大黒屋や市民の思いさえも代弁することができなかった。
 そして何より悲しかったのは、ほとんどの記者が目先にこだわるあまり、自分の記事に何が欠落していたか気がつかないことだった。

 朝日新聞の本多勝一は書いている。
 「問題意識を支えるものの根底は、記者の広い意味でのイデオロギーではないか。全く無色の記者の目には、無意味な事実しか見えず、テープレコーダーと同じような無意味なルポができることになる」
 「地域紙の記者は、地域に根ざした太くて強いイデオロギーを持つべきだ」―今、空虚感に包まれながらも、それを強く感じる。

2001年6月17日





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