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田舎からはいろいろなものが送られてくる。学生のころは食材であったり衣類であったり。段ボール箱には、こんなもの送らなくても買えるのにという、極々日用品が隙間を埋める緩衝剤のように、はいっていたりする。そのなかに見なれた文字の手紙が一枚はいっている。要はこれが送りたかったのだなと、封筒を開けるが「身体に気をつけて」などという、特別
な用事もない内容のものである。中身のない内容の手紙だから緩衝剤がないと潰れてしまう。故に手紙の周りに日用品緩衝剤が必要となって来ると言う事である。
便りがないのはよい便りという便りは、わざわざ言うまでではないけれども、ちょっと気にはなっている、ついでに声をかける程度がちょうどイイ加減なのだけれど、という微妙な間合いがそこにはある。その微妙な行動は、タバコを買うのに自販機ではなくって、コンビニに行って、ついでになにかないかな―と、買う当てもないのにブラブラ店内をひととおり一周することと似ている?いや、親心をコンビニなどと同等にしては失礼千万かなと一瞬思ったりしたけど、最近はコンビニに育てられている子供も多いようだから、それでもいいのかも。
先日、私の田舎から段ボール箱がひとつ届いた。その中にはとんでもない緩衝剤が入っていた。それはランドセル、私が使っていたランドセルなのである。何年ぶりの御対面
だろうか?「とってあったんだ」という驚きと、自分の記憶の中にある、消えかけていた風景が突然急激に明白になった大魔術を見せつけられた観客になってしまった。
黒くて使いこんだ革は、久しぶりに顔をみせた友人のように「全然連絡しないで、どうしていたんだよ。まあ便りがないのはよい便りっていうからなぁ。どこかで元気でやっているんだろうとは思っていたけど」と語りかけているようにも見えた。そのなかにお約束のお手紙がはいっていた。母からかと思いきや、見なれない文字、いや文字のような線が書かれた紙が一枚はいっていた。それは妹の息子のゆうじからの手紙であった。
「おげんきですか?きょうはひきだしのせいりをしました。」という内容である。超中身のない手紙である!引き出しを整理したという日常の行為を文字にして伝達することの意味はどこにあるのか?そこには緩衝剤が大きなヒントになっている?ゆうじは2005年に一年生になるから。
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