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いわき市立美術館で開催されていた福田繁雄展で、ギャラリートークとワークショップを行った。作品を解説するということは評論家、学芸員という専門の方がいるのだが、私は作家であってその専門職ではない。だけど作家の気持ちは推測できる。美術史的にとか、社会的にという外から個人をカタチつけていくのではなく、同じ作家として、作品を創造する衝動、苦悩、喜びは、わかる気がするので、内から福田作品を検証しようというスタンスでやらせてもらった。
福田さんは東京藝術大学での恩師である。現在、私は大学でその立場に就いているわけだが、私の作品を私の教え子がこんな具合に話す時が来るのだろうか。「こいつ勝手なこと言いやがって」と想うに違いない。そうやって人々は誤解を積み重ね、誤解で歴史が作られる。絵はそういうものである。正解がないので、みんなすべてが正解でもあるけれど、同時に誤解でもある。誤解が多い作品ほど世の中に広まる。誤解が多くできる作品ほど有名になり、その作家は著名になる。多くの評論家が取り上げる作品、作家というのは評論家、美術史家が独自の考えを織り込みやすいからである、つまり誤解しやすいからということになる。
喜多方市でハートマークビューイングのワークショップを行った。1日目は民家の中で?のアップリケを作った。2日目はそれぞれが作ったものを繋げる予定であったが、雪が降り、一晩で20センチくらい積もったので、笹竹にアップリケをつけて雪の中に飛び出した。予定にはなかったことだけれども、素直に反応するとこういうことになる。誤解というものもだれも無理にはしてはいない。素直に反応すると大概こうなるのである。
美術の世界はこれが大いに歓迎されるが、集団社会の中ではなかなかそうはいかない。そうはいかないけれど、これからの社会というものは、個々の要求があるからこそ、魅力ある社会になる仕組みをつくっていかなくてはならないのではないだろうか。
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