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蜘蛛を食べてしまいました。カンボジアでの出来事でした。真っ黒けで足まで入れると12センチほどあるタランチュラのような巨大蜘蛛である。牛もBSEになるは、鳥インフルエンザは流行りだすは、豚も鳥にかかるは、食えるものがなくなってきた。だから蜘蛛だったら大丈夫!ねずみも大丈夫?なんてことを考え出してしまってこの世も住みづらくなったもんだ。
キリングフィールドのように死体の山ができてしまうのでしょうか?蜘蛛も大皿に黒山の蜘蛛だかりで売られていました。それも少女の頭に乗せられて。びっくりしました。その風景を見たときには、いろんなものを人間は食べるもんだ、いろんな物を食べられるのは幸せなんだと、牛丼がなくなるニュースを見てつくづく思う。
鳥だって昔は自由に好きなものを食べられた。草が食べたい気分、石を噛みたい気分、土を舐めたい気分。だけど養鶏場では同じ物を食べなくてはいけない。だからおかしくなった。鳥が健康でなくなった。全てを受け入れることは健全なことなんです。
アンコールワットはヒンズーになったり大乗仏教になったり、タイに攻め入れられたりしてきた。時間にも攻められ(人間から見放された時期と言うのは、逆にいえば時間をそのまま受け入れて風化する)、木が石を持ち上げ、石の寺院が植物をも受け入れている。その素直な生物の行動は蜘蛛の黒山よりも雲の上の風景を作り出していた。
いつまでも同じではいられないんだよね。カンボジアも交通
量がこの数年で爆発的に増えている。けど交差点には信号がないところがほとんどで、でもこれが不思議とぶつからない。速度を少し落とし、左右をコマ目に確認し、そして何事もなかったようにすり抜けて行くのである。こんな時期はいましかないだろう。メロンの食べごろのように、交通
量が少なかったら、速度は変えずに交差点に突っ込むだろうし、増えればふんずまりになる。うまい具合に通
じるのは今しかない。イラクが戦場ではないという「途中な今」、そんなことの連続が時代になっていくのであろう。
いつでも誰でも、時代の生き証人なのである。証人っていうのは悪事の落としまえのときにしか登場しないんだけどね。
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