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一昨年12月22日の冬至の夜に岐阜市長良川で行われた「こよみのよぶね」は1年の時の流れの中で育まれていく。時間は川の流れのように過ぎていき、人はその中で未来を想像したり、過去を振り返ったりしながら今という瞬間瞬間を重ねていく。人は時間を使って考えを形にしていき、時間はその形を人に記憶させ、次なる考えを起こさせる。時間があるからモノは生まれ、時間があるからモノが朽ちる。その繰り返しが人に時間の存在を気づかせてくれる。
時をすごす行為が生きるということ、そして時の中で考えが生まれ、形が生まれ、考えが変化し、形が変化していくことが生きているっていう現在進行形。
こよみのよぶねでは竹と和紙を使って1から12までの数字の形の大型行燈を制作して、屋形船の屋根に載せて川を下って来る風物詩である。12の数字は市民の手で半年かけて作られた、そして1月14日の左儀長(どんと焼き)でそれが火に投じられて灰と煙になる。何もないところから生まれたものがまたなにもなくなる。何もなくなったから、また生み出す力がそこに生じてくる。この繰り返しが「こよみのよぶね」である。
左儀長の舞台は長良川からほど近い長良天神で行う。まずは「火おこしの儀」が執り行われる。神殿の中で神主さんが古来からの道具を使い火をおこす。気の軸が回転し、木がこすられて煙が出る。ある瞬間に火が「ぼっ!」とおこる。この火がすべてのものもとへと戻してくれる。竹と和紙でできている高さ3mほどの巨大なこよみのよぶねの行燈に火がつくと「めりめり」と音をたてて大きな炎に包まれる。製作してきた参加者から「あー燃えてしまう…」と一抹のさみしさとはかなさとが入り混じった声が出る。子どもたちはその豪快な姿に喜んでいるようだが、大人たちは複雑なようだ…火を見つめながらしばし無言…。
消えてなくなったほうがいいと頭では分かっている、けれど生み出したものが消えるのが目の当たりでみるとつらい。しかしこれも含めての時の流れの「こよみのよぶね」なのである。また創る。時を使ってまた創る、その中で人は人と関わり生きていけれる。
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