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五月だった。かつてデパートやスーパーだった廃墟のような東水ビル。そこの八階にヒビノはいた。コンクリートが剥き出しの壁面
、山と積まれた段ボール。その大きな段ボールを床に張っている。何をしているのかかいもく見当がつかない。「何をしているんですか?」と尋ねると「制作の準備段階。アトリエづくりです」と答えた。
ヒビノを追い始めて四年になる。きっかけは、いわき市立美術館で開かれた「日比野克彦展」だった。このときボランティアで全編日比野克彦という「日々の新聞」をつくり、それが現在の「日々の新聞」を立ち上げるきっかけになった。接すれば接するほど「ヒビノとは何ものなのか」、その正体を知りたいと思うようになった。巡回展を回り、トークを取材し、飲み会に参加した。ヒビノはシャイでぶっきらぼうで温かかった。そして何よりも自由だった。
2003年の9月13日だった。水戸芸術館でシンポジウムがあり、取材した。学芸員・森司の誘導が絶妙だった。そこでのヒビノは正直に自分を語った。それまでぼんやりしていたヒビノというアーティストの輪郭のようなものが、その日うっすらと見えたような気がした。
シンポジウムのあと、思いもかけずヒビノと森と、たまたま来ていたヒビノの高校の後輩でテレビ朝日に勤めている堀場綾技子の四人で飲むことになった。歓楽街にあるその店は庶民的な雰囲気があり、魚が旨かった。狭い座敷でぎゅうぎゅう詰めになってビールを飲み、話が弾んだ。
どのくらい経っていただろう。ほんの少しの沈黙のあと、タイミングを計るようにして森が切り出した。
「再来年あたり、水戸芸で新作だけの個展をやってみませんか?
そのために来年あたりから仕事を徐々に減らせますか?」
「それは大丈夫だと思うけど…」。ヒビノの表情が戸惑いから期待に変わっていった。ヒビノの仕事は、基本的にオーダーがあってはじめて発生する。当時はワークショップ、講演、シンポジウム、テレビ出演、審査員など超多忙な日々を送っており、森にしてみれば展覧会のための制作時間を取れるのかどうか、が心配だった。逆にヒビノにとっては2001〜2002年と、いわきを皮切りに全国六つの美術館を巡る回顧展が終わったばかりで、こんなに早く、自分の個展が開けるんだろうか、という疑問があった。
その日のシンポジウムで、森はヒビノに切り込んでいた。
「ほぼ十年ワークショップをやって来たわけだけど、そろそろ飽きてきたんじゃないの?」
「確かにもういいかな、と思うことはある。制作するためにワークショップをしてきたわけじゃないけど、ワークショップをしてきた結果
、制作につながるということはある。実験的にかたちにすると、気づくことがあるから。ただ一つ言えるのは自分のコピーをつくるのはいやだということ。自分は今、脱皮したいのだと思う」。これがヒビノの答えだった。
この10年間、制作らしい制作をせず、作品をつくるという行為を放棄しているように見えるヒビノ。この著名なアーティストに段ボールで新作をつくらせたい―。森は以前からそうした思いを温め、機会をうかがっていた。この日、森のキュレーター魂がより加速し、音を立てて動き始めた。
今年の7月3日、東水ビル。そこはすっかりヒビノのアトリエになっていた。
ヒビノにとっての制作は、環境が重要だ。廃墟だった東水ビルの一角。その空間に自分の匂いを付け、制作がしやすいようにする。それはマーキングのようなものだという。豊富に提供された段ボールを床や壁に張り、コーナーを区切り、さまざまなサインを描き、その片隅に自分のエリアを確保する。それがヒビノが言う「巣ごもり準備」だった。ヒビノは東水ビルのアトリエに3カ月近く巣ごもりを続け、創造力を喚起し、そこから見えてきたもの、こぼれてきたものを段ボールを使ってかたちにしていった。
最初に取り組んだのが段ボール製のヨット「エリカ号」。この大作をリハビリ的につくって制作する精神や筋肉をもみほぐし、アートする神経を研ぎすまさせて、作品を次々と完成させたのだった。
ヒビノに会った7月3日、ヒビノの全身からはアーティストのオーラのようなものが発せられていた。目は血走り、そこには「今大事な時期だから寄らないで」という無言の訴えがあった。森はあとで「そういう本気のヒビノを見たかった」と言った。
「日比野克彦の一人万博」が始まった8月6日、1カ月前にあれほど血走っていて鋭かったヒビノの眼は、すっかり穏やかになって澄んでいた。そして18日、あらためて取材をした。「これから何をやりたいですか?
日比野さんはどうなっていくんでしょう?」。
「自分はお里がない。がちがちのファインアートでなければデザインやグラフィックの世界でもお客さん。それが一人万博の由縁。ま、縛られたくないということなんだろうけど。だからこそ、いろんな世界との橋渡しができ、つなげる。何をやりたいかって?そうだなぁ、汗を流しスポーツしながら表現するようなもの。運動会と文化祭をミックスしたようなもので飛び込み参加もできる。そんな新しいスタイルをつくっていきたい。これだけ大がかりのことをやっちゃうと小さいものでは満足できなくなっちゃうかも知れない。それには人がいるんだよね。自分から動くことはないと思うけど、だれかが、こんなことやってみませんかって来るんじゃないかな」
ヒビノらしくさらりと答えた。 |
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