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第109号「磐亭・ふるさと訛」を読んで大学1年の頃を思い出した。
大学は埼玉にあったが、学生の多くは東京近郊から自宅通
学していたので、皆キレイな標準語を話していた。いわき弁のネイティブスピーカーの私もさすがに「ぺ。べ。げ?」の終助詞には気を付けていたが、よくアクセントやイントネーションの違いを指摘された。
雨と飴にはじまり、柿と牡蠣、紙と髪と神、箸・端・橋…ここまで来るともう混乱の極み。なぜ彼らには分かって、私には分からないの? 少しずつ話すのに臆病になっていった。しかし言語学のクラスでいわきが無アクセント地帯に属する事を知った瞬間、「ハレルヤ!」暗く心を覆っていた雨雲から一条の光が射す思いがした。成長の過程で正しく言語習得がなされていた結果
だったのだ。
そして私は現在、日本語教師をしている。今年で15年目になるが、訛って話せる外国人はよほど耳の良い語学のセンスのある人で、今までに2人しか会ったことがない。母語の影響の方がよほど問題になる。
スペイン語では「やゆよ」が「じゃじゅじょ」になるので「ジャマニイッタ」は「山に行った」だし、タイ語は「つ」の音が無いので「す」になり「ナスガスキ」は「茄子」か「那須」か「夏」のどれがいったい好きなのか確認を要する。また中国語では「き」の音が「ち」になり「チップをもらった」なのか「切符をもらった」のかイマイチ良く分からない。
だからボランティアで日本語を教えたいと思っている方から時々「発音等に不安があるのですが教えられますか?」と言う質問をされると、「大丈夫です!」と自信をもって答えている。
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