|

西岸良平の「三丁目の夕日」に年老いた踏切番の話がある。
踏切わきの小さな番所で毎日を過ごしながら踏切を開け閉めする人生。何よりの誇りは、自分が担当する踏切で事故を起こしたことがないことだった。
気が緩んだのだろう。定年が近づいたある日、番所で居眠りをしてしまう。走馬燈のように浮かんでは消える人生。ふと目を覚まして線路を見ると、電車がそこまで迫っていた。しかも茶飲み友だちのおばあさんが立ち往生している。「危ない」と思った踏切番は線路に入り、おばあさんを助け出したが、自分はあの世へ旅立ってしまう、というストーリーだった。
平にある大工町踏切を通るたびにその話を思い出す。今では機械化され自動で開閉するようになってしまったが、かつては電車が行き来するたびに踏切番の人がハンドルを回していた。
電車が来るタイミングと人の往来を的確に判断し、踏切を上げ下げする。やんちゃな子どもや動作がゆっくりのお年寄りには、温かい眼差しを向け、無茶をする若者には容赦なく警笛を鳴らす。そんな、踏切番だった。
思えば、踏切が手動だったころはそのあんばいが絶妙で、渡る側の事情というのをよく見てくれていた。しかし、機械の踏切はこちらの立場をまったく無視し、あの毒々しい「カンカンカンカン」という警告音とともに、容赦なくシャットアウトしてしまう。それが効率至上主義の現代社会を象徴しているようで、ちょっぴり悲しい。
どうでもいいことに目くじらを立て、大事なことは黙殺する。それに比べて踏切が手動だった時代は、なんともおおようでおおらかだったことか。線路の向こうとこちらを結ぶ踏切には、ゆったりとした時間が流れ、さまざまな人生が見え隠れしていた。
「今の踏切はなんてせっかちなんだろう」
警告音とともに点滅を繰り返す真っ赤なシグナルを眺めていたら、思わずため息が出た。
|