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 NHK朝の連続ドラマ「ほんまもん」の主人公は女性料理人。亡き父の意志を継ぎ、人を感動させる料理を作りたいと思っている。精進料理の店は繁盛しているのだが、「何かが違う」と思い始める。そして気づく。「自分が本当にやりたかったのは、自分が生まれ育った熊野の水と熊野の素材を使って、熊野の空気や風の中で料理を作ることだったんだ」と。
  かつて「どんな新聞をつくるか」を真剣に議論したことがあった。さまざまな意見が交錯し、対立もあったが、おおむね一致したのは、「まちの匂いのようなものを伝えよう」ということだった。
 「まちの匂い」とは何か―。
 そこに住む人たちの営みということだろうか。背景にある風景や時代の集積も、もちろん含まれる。文化や訛などもほどよく混じり合って、そのまちにしかない「匂い」が生まれるのだ。そして、その匂いに誇りを持てたときに、匂いを大事にする気持ちが生まれ、確固たる地方の価値観がかたちづくられるのだと思う。
 いわき市イメージアップ懇談会が最初に行った作業は、「いわきらしさ」を見つけることだった。「いわきらしさ?なんだっぺ」。海、広域多核都市、陸の孤島、多様性…。さまざまな意見が出た。しかし、そのほとんどは、トータルイメージに終始していた。さらに市は、合併都市であるがゆえに、一体感が持てる新しい何かを無理につくることに、やっきになっていた。
 今思う。なぜ個別のいわきらしさを探し、それらを継承発展させてつなぐ努力をしなかったのか。あのとき、それをやっていれば、人々の思いや歴史をあっさり簡単に潰してしまう、こんなまちにはならなかったのに。
 泉駅前や湯本の町中にあった見事なヤナギの並木はあっさり切られ、ハナミズキやケヤキが植えられた。もし、ヤナギを生かし、さらにヤナギを植え続けたら、二つのまちは江戸情緒が漂うしっとりとしたまちになり、その匂いはさらに輝きを増しただろう。
 いわきおどりを、じゃんがら念仏踊りにしていたら…。間違いなく、かつて行われていたという、渦巻き型じゃんがら念仏踊りが自然発生的に復活し、いわき駅前で魂が鼓舞するような、ネイティブダンスの嵐に混ざることができただろう。
 残念ながら、市がしようとしていることで欠けているのは、匂いであり、営みのような気がしてならない。誇りにするための材料が転がっているのに、それらに目を向け、磨き、発展させてつなぐ、ということができない。それができれば、まちは地響きをあげ、眠りから覚めるのに、中央の論理というか価値観に縛られ、ただ走り続けている。
 ここは、まず走ることをやめて深呼吸する。そして、足元を見つめること。それが大事だと思う。

2002.2.21


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