omb423号

 紙面を読んで From Ombudsman423号 

 

画・松本 令子

 藁谷 和子

 エィミ・ツジモト

 前号の1面に、思いがけなくメスキータの名前を見つけ、彼や彼の祖先が歩んだ受難の人生にしばし、思いにふけった。そして動揺した。それは彼が、虐げられてきた民族を祖先に持ったことにある。
 メスキータはシェフアルディム系ユダヤ人であり、その民族的特徴はイベリア半島に居住したことにある。ここでの歴史は長く、ローマ帝国が西暦70年にユダヤ人を今のイスラエルから追放し、難民としてこの地に逃れたのが始まりとされる。
 その後の数世紀は難なく歴史が流れたが、6世紀にキリスト教が入り、ユダヤ人弾圧が始まっていく。ユダヤ教を棄ててキリスト教に改宗しない限り、弾圧は続いた。8世紀になるとアラブ系回教徒が半島を征服したことで、幸運にも迫害は弱まっていく。
 興味深いのだが、その時代の支配者は現在と違って、ユダヤ教に寛大であった。なぜなら2つの宗教はアブラハムの子孫であるという共通認識があったゆえである。
 彼らは14世紀末ごろまで、自分たちの生活にスペインやアラブ系の文化、習慣を融合させ、独自の民族性を形成した。世界中に分散して生きる彼らの中にも独自性は伝承され、今にある。
 ところが1391年の大弾圧によってキリスト教徒が巻き返しを図り、ユダヤ人の半数以上が改宗(表向き)を余儀なくされてしまう。さらにコロンブスがアメリカ大陸を発見した1492年、非改宗者は全員イベリア半島から追放され、その悲しい歴史は今日まで連綿と続いている。
 実に600年という気の遠くなるような歳月が流れた2015年6月、スペインに生きるシェフアルディム系ユダヤ人の子孫たちは、ついにスペイン政府によってスペイン国民となることを許された。同政府が長年にわたる歴史的な「あやまち」を認めたためで、ここに歴史の重い責任が感じられる。
 こうしてシェフアルディム系ユダヤ人に対する弾圧の歴史を振り返った時、ナチスドイツによるホロコーストは大弾圧の最たる象徴である。いうまでもなくメスキータは、ナチスドイツによって命を奪われた。
 2011年3月11日以後の国家の「あやまち」によって、先祖代々の地を追われたフクシマの人々は「難民」としての悲しみを背負うことになった。日本人にとってシェフアルディム系ユダヤ人への迫害は、対岸の火事と映っていたかもしれない。だが「メスキータ展」に訪れる人々にとって、彼らとフクシマの「難民」に、心を寄せるひとときとなるであろう。

(京都在住)

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