omb444号

 紙面を読んで From Ombudsman444号 
画・松本 令子

 

 大河原 さき

 内山田康さんの「戸惑いと嘘」にパラオが出てきて、関心を持って読んだ。パラオは3度訪ねたことがある(現地ではベラウと呼んでいて、私にはこちらが馴染み深い)。
 1度目は1984年、非核憲法を制定したベラウの人たちと交流があった友人から、ベラウでヤシ油を使った石鹸作りを教えてきて、と頼まれた。私は2人目を妊娠10カ月、初めての海外だったが、産婆さんに「大丈夫」と太鼓判を押され、戦時中に日本語教育を受け、日本語も話すケボウ夫妻宅に2週間ほどホームステイした。大きなお腹で島内を歩き回り、プロペラ機でペリリューにも渡った。サンゴ礁の海は透明度が高く、海の底を泳ぐ小さな魚が見えるほどだった。
 戦後はアメリカの信託統治領となり、動物園政策で産業開発はなく、食糧や生活物資が供給されてアメリカナイズされた生活となった。私を呼んでくれた人たちは、アメリカに依存せず、タロ芋を作り、魚を獲る暮らしを実践していて、合成洗剤ではないヤシ油で石鹸を作ろうとしたのだった。廃食油からプリン石鹸しか作ったことのない私のヤシ油石鹸は、暑さのせいか固まらず液状のままだったが。
 2度目はその時生まれた長男が11歳の時、9歳の次男も一緒にベラウの平和運動と戦跡を訪ねるスタディツアーに参加した。ペリリューの激戦地でアメリカ軍と日本兵の凄惨な戦いの跡も見た。ベラウの人たちは村を戦場にされて家を奪われ、飢えの中ジャングルを逃げ惑ったと聞いた。そのうえ戦後は太平洋での度重なる核実験と、アメリカの核配備計画、そして原発の高レベル廃棄物をドラム缶にコンクリート詰めにして、日本を含む13カ国が海底に投棄していた。
 これらのことから、ベラウの非核憲法には「戦争での使用を目的とした核兵器、化学兵器、生物兵器、さらに原子力発電所、およびそこから生じる廃棄物などの有害物質は、パラオの司法権が行使される領域内で使用、実験、貯蔵、処分してはならない」との条項が加えられた。
 今年4月13日、日本政府が汚染水の海洋放出を決定した直後、太平洋の島国がいち早く「深い懸念」を表明し、独立した専門家が再検討するまで放出を延期するよう求める声明を発表したのは、このような背景があったからだ。世界中につながる海を、これ以上放射能で汚してはならないと改めて思う。

(三春モニタリングポストの会)

 

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