079回 1991年の時間旅行(2013.12.15)

大越 章子

 

画・松本 令子

みんな一緒に静かにクリスマスを祝う

1991年の時間旅行

 日曜日、クリスマスの飾りつけをした。ピアノの上に陶器のスノーマン家族、テーブルにガラスのツリー、自室に小さなくるみ割り人形、玄関にわが家で一番大きなツリーとサンタの人形とターシャのアドベントカレンダー、ドアにはリースをつけた。
  まだまだある。スノーボール、木製の聖歌隊、7人のこびとを連想させるスリーピングサンタ。大仕事を前にそれぞれ個性的な寝ぞうでぐっすり眠っている。プレート、天使たち、絵本ノ。クリスマスじたくをしながら、1991年を思い出していた。

  その年、地元紙で記者の仕事を始めた。数週間の研修のあと、福祉と医療、文化の担当を任され、取材に歩いた。こころにあったのは、研修期間に先輩記者が連れて行ってくれた、福島整肢療護園の重症病棟だった。
  当時、ノーマライゼーションの理念が日本でも浸透し、あちこちでよく耳にした。お年寄りも若者も、障害のある人もない人も、地域でともに暮らし、ともに生きる。当たり前の理念は頭で理解できても、現実を思うと途方に暮れ、「福祉って何だろう」と考えていた。
  時間があれば、住宅地をぬけた高台にある療護園に出かけた。レクリエーション室で子どもたちと遊び、職員と話をした。時々、園長だった湊治郎さんがふらっと入ってと来て、子どもたちと戯れると、やさしい空気に包まれた。
  その夏、いつものように療護園を訪ねた。床のワックス掛けをしていて、「滑るから気をつけてね」と言われて間もなく、つるり滑って転んだ。ちょうど通 りかかった湊さんはすかさずおぶって、診察室の診療台に寝かせてくれた。
  「大丈夫だと思うけれど少し横になっていてね。様子を見るから」。そう言われたが、恥ずかしいのと、普段ゆったりしている湊さんの機敏な動きに驚いたのとで「すみません」と言うのが精一杯だった。
  秋、療護園の玄関を出た日だまりでいつも、じっと一点を見つめている車いすの青年が気になった。声をかけると顔をあげて「こんにちは」と言って視線を戻し、また一点を見つめる。不思議に思い、目の高さを同じにして眺めてみても、アスファルトが見えるだけだった。
  ある日、車で療護園の前を通りがかり、肌寒い夕暮れの同じ場所にたたずむ青年を見つけた。次の瞬間、目が合って気づいた。青年は坂を上がってくる人や車を待っているのだった。何度か一緒に遊んだ水頭症の女の子には突然、握られた手をぺろりとなめられた。ただそれだけだったが、少し女の子にも近づけた気がした。 
  そしてクリスマス。夕方、重症病棟の寝たきりの子どもたちもベッドに横になったまま、薄あかりのロビーに集まって、全員でお祝いをした。静かで厳かで、清らかで温かで、療護園の精神にふれる、こころに残るクリスマスのお祝いだった。
  あれからもう22年になる。仕事で迷い悩む時、立ち戻るのは療護園で、湊さんの姿でもある。その湊さんの訃報に接し、クリスマスの飾りつけをする数日前、石森の自宅を訪ねたからだろう。1991年に時間旅行した。

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