454号

 外岡さんのペンネームは「中原清一郎」と言った。
 1976年(昭和51)、東京大学法学部4年生のときに『北帰行』が文藝賞を受け、話題を集めた。審査員の1人、江藤淳は「作者は23歳の青年だそうだが、たしかにここには青春そのものの表現というべき混沌と、おびただしい余剰がある。この混沌と余剰を相手どって、作者が駆使しようとしているのは、どちらかといえば知的な方法というべきだろうとおもう。主人公と石川啄木の姿を交互にたどり、それを重ね合わせることによって、現代の青春を歴史的な奥行きの上に造型しようと試みているからである」と評した。
 その後、朝日新聞の記者となったため、小説を書くときは本名を封印して「中原清一郎」というペンネームを使うようになる。小説第2作は迫害された狩猟民族のルーツをたどる考古学ミステリー、『未(いま)だ王化に染(したが)はず』(1986年)で、同じ年に「生命の一閃(いっせん)」が「新潮」で発表された。当時は、覆面作家として扱われた。
 「生命の一閃」は2017年(平成29)に出版された連作小説『人の昏(く)れ方』(河出書房新社)に組み入れられた。作者と同年代のカメラマンを主人公にした作品で、「悲歌(青春)」「生命の一閃(朱夏)」「消えたダークマン(白秋)」「邂逅(玄冬)」に分かれ、それぞれに季節の副題がついている。「生命の一閃」以外の3作品は30年以上の歳月を隔て、自らの体験を投影してて書かれた。このほか、中原清一郎名義では退職後に出版された『カノン』(2014年、河出書房新社)、『ドラゴン・オプション』(2015年、小学館)がある。
 
 外岡さんの原点ともいえる『北帰行』が手元にある。初版が1976年12月5日で、持っているものは翌年の3月30日発行の10版だから、どれだけ注目され、多くの人たちが手に取ったかがわかる。カバーの装画は彫刻家・若林奮の列車を思わせる絵で、とても興味深い。
 この作品の主人公・二宮は夕張を思わせる炭鉱町U市の生まれ育ち。父が炭鉱事故で亡くなったために高校進学をあきらめ、東京に集団就職で出る。しかし、下町の自動車部品を製造する工場を辞めざるを得なくなり、中学校の修学旅行のときに函館で買った石川啄木の歌集『一握の砂』の文庫本を持って、啄木の漂泊の人生をたどる、という筋立てだ。
 岩手県の渋民、盛岡、北海道の函館、釧路と旅をして啄木ゆかりの地や歌碑をめぐりながら、啄木と自らの人生を交互にたどって重ね合わせていく。そして「旅とは詰まるところ、私から永続性という幻影を奪い去り、それを次の瞬間には朽ち果てるものとして捉えることなのではないだろうか」「大切なことは、自分の答を見つけるためには、啄木を探す旅に出なければならないことだ」「啄木のふるさとは啄木の旅に他ならない」と書く。
 主人公の親友・卓也と転校生で初恋の人・由紀(鉱山技師の娘)。この三人は外岡さんと同じ昭和28年生まれという設定で、中学校を卒業する15歳までの間に、世の中の変貌を目の当たりにする。そしてテレビアンテナが次々と立ち、土がコンクリートに変わり、馬橇(ばそり)は車に駆逐されていく。さらに炭鉱が力を失い、貧富の差が出始める。
 この小説で外岡さんは、時代の節目に身をさらして葛藤する若者たちと、有り余るほどの才能を持ちながら思うに任せなかった啄木の人生を二重写しで見せた。そして最後に主人公は、「どこへ行くんだい。母ちゃんを置いていくのかい」と泣き叫ぶ母に「きっと帰る。ね、俺はきっと帰るよ」と約束する。
 
 外岡さんの小説には、体験に裏打ちされた事実と徹底した取材がある。『北帰行』のラストで主人公は「きっと帰る」と母に約束している。それが、朝日新聞社の定年を2年残して実家がある札幌に戻った外岡さんの姿と、だぶる。