紙面を読んで From Ombudsman | 422号 |

藁谷 和子
岡部 兼芳
シルバーウイークの渋滞の様子や、デジタル庁が創設されるというニュースが、つけっぱなしのテレビから流れる。スマホを操作しながらふと「私たちは、なんのためになにをしているのだろう」という問いが頭に浮かぶ。
本紙第421号では、福島第一原発事故後の汚染水をめぐる特集と、「文章を書く」と題されたクロニクルのコーナーが特に印象に残った。特集では、いま起きているできごとが「問題の本質は何なのか」という真摯な眼差しで捉えられ、客観的であろうとする筆者の姿勢を感じた。それらが、クロニクルで紹介されていた「真水のような文章」という言葉と重る。起こってしまった問題は、その事実をありのままに捉え、何が最優先かを見極めながら、対応策を講じていく必要があるだろう。多くの人に関わる問題であれば、解決への合意形成や、教訓として未来へ伝達するため、文章が作られることには意義がある。
一方で私たちは、知らずしらずのうちに、テレビやインターネット上で垂れ流しにされている、偏向した意見や、思慮に欠けた言説、むき出しの感情といった、いわば真水とは対局の文章に身を浸しながら、過ごしてはいないか。
前回「私たちは想いを重ね、遥かここまでやってきたのではないか」と書いた。身の回りの大切な誰かを想い、永い時間軸の中で私たちのこれからに想いを馳せること。さて私たちは渋滞を経てどこへ向かうのか。行政のデジタル化では、何のためにどんなシステムを構築するのか。私たちは日々のなかで想いを重ね、さらなる日々へと歩をすすめる。
(はじまりの美術館館長)
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