紙面を読んで From Ombudsman | 526号 |

寺澤 亜彩加
燦然と輝く燈を
掲げろと声がする
日々の新聞をぺらりと開いていく。開くたびに胸がぎゅっと掴まれて、背筋がぞわぞわする。なんとも言えない気持ちになってしまう。
思い出されていく。わたしを駆け抜けた感覚の、走馬燈に襲われる。
わたしは、この地域で生まれ育った人間ではない。不思議なご縁に恵まれ、いわきに出会い、そしていつしか住むようになったこの地域で、さまざまな人に出会い、さまざまな話を聞いてきた。
震災を生きた人たちの話、炭鉱を生きてきた人たちの話、自分が生まれ育ったまちをどうにかしないと、と焦る人の話、大きな流れの中でなすすべなく立ち尽くしたように話す人たちの話。
語る人々の内側に湛えられた感情に、わたしは反応してしまう。だけれど、わたしは何もできない。そのたびに、大きな流れやうねりの中にあっては、わたしたちはなすすべなく揺蕩うことしかできないのだろうかという無力感に襲われてきた。
世の中には構造というものがあり、そこに関わることができる人もいれば、そうでもない人もいるかのようだ。語ることや声を上げることができる人と、できない人に分け隔てられているようにも見える。
果たしてそうだろうか。
大きな構造が物事を動かすという面も少なからずあるだろう。だけれど、地域は、地域に生きるわたしたちが生きて、そしていずれ死んで、そしてまた生まれて、その中で綿々と織りなされていくものである。
日々の新聞を読むたびに、胸がきゅうっと掴まれて、時には身震いさせられるたびに、そうして織りなされていく大きな織物のようなイメージが、目の前に広がっていく。
わたしたちはわたしたちの持つ感情に出会えるだろうか。脈々と続いてきた彼らの声が、感情が、身体を通してこの世に現れようとする、それそのものに、きちんと出会えるだろうか。
ふと気づくと、この身にたしかな燈がゆらゆらとゆらめいていることに気づく。ぼうっと灯る、火の玉のような、ひかりの子どもたち。
わたしはその、燈をその手に掲げていくことができるのだよと、そっと日々の新聞は囁いている。
わたしたちには紛れもなく、物事を動かす力が宿っているのだと。
(日本パラサイクリング連盟・いわき時空散走事務局長)
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