026回 秋を探しに

大越 章子

 

画・松本 令子

どこかですっぽり季節に入り込む

秋を探しに

 庭に金木犀の木がある。花や木をこよなく愛し、庭いじりが大好きだった祖父が、ずいぶん前に植えてくれた。淡いオレンジ色の小さな花が咲くこの季節、わが家はその甘い香りに包まれる。窓や玄関の扉を開けても、帰宅して車から降りても、洗濯を干していても、いいにおいがする。祖父が逝って2度目の秋が訪れている。
 その香りの漂いのなかで「今年はどこへ行こう」と考える。夏と冬にはあまりそうは思わないけれど、春と秋はどこかへ季節の深まりを探しに行きたくなる。その時々、気ままに場所を決めて近く、遠くへ出かけ、すっぽり季節に入り込む。

 花巻の高村山荘を訪ねたのは学生の時だった。東京のアトリエを空襲で消失した高村光太郎が7年間過ごした、花巻の粗末な山小屋。裏山を歩いて、光太郎が夜、「智恵子」と叫んだ場所にも立った。あまりにのんびり過ごして、駅までのバスがなくなってしまい、タクシーも公衆電話もなく、道端で売っていたりんごをかじりながら歩き、友人と初めてヒッチハイクをした。
 蔵王ではロープーウエーから秋と冬の境界を眺めた。ラストシーズンの尾瀬を散策して、翌日、燧ヶ岳に登ったこともある。ふもとの御池の駐車場に着いた時には思わず万歳した。平泉はいつも、義経堂、中尊寺、毛越寺のコースを巡る。その年の中尊寺の紅葉はまぶしいほどに色づき、見事だった。友人は「こんなにきれいな紅葉は初めてだよ」と、ため息をついた。
 初秋の吾妻の一切経を赤とんぼに囲まれながら登ることもある。夏井川渓谷の木々のトンネルをゆっくり車を走らせる時もある。山あいに蕎麦を食べにいき、道いっぱいに落ちた栗を拾うこともある。奇岩を眺めながらゆっくり鳴子峡を歩いて、深呼吸をする時もある。紅葉や銀杏の葉を本に挟んで、その年の秋の記念にすることもある。

 昨年は久しぶりに、いろは坂を通って日光に行きたくなった。見ごろを狙って、午前7時に家を出発。日光宇都宮道路あたりまでは順調だったが、それから走りがゆっくりになり、いろは坂ですごい渋滞。昼食は車内ですませ、中禅寺湖に着いたのが午後3時過ぎだった。でもそのおかげで、いろは坂の紅葉のパノラマをゆっくり眺められた。
 さて、今年はどこに秋を探しに行こう。金木犀の香りと虫の合唱を楽しみながら、思いを巡らしている。  
 

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