037回 新しい季節

大越 章子

 

画・松本 令子

自分の前に続く道を信じて

新しい季節

 県紙の記者をしていた友人のヒロコが、20年ほど勤めた新聞社を3月に退社した。この6、7年、これからの自分を考えた末での決断だったが、その知らせは突然だった。
 「わたしね、きのう会社に辞表を出して、きょうの役員会で受理されたの。3月末で退社して、フリーのジャーナリストで頑張ってみようと思って」
 知らせから1週間後、用事で福島に出かけた際、久しぶりにヒロコと会って昼食をともにした。相変わらずセミロングの髪をきりっと後ろでまとめ、パンツスーツ姿で待ち合わせ場所に立っていた。互いに「変わらないね」と言い、顔を見合わせて笑った。

 ヒロコは15年ほど前、いわき支局に勤務していた。ちょうど「いわきを変えよう」と市民運動が活発なころで、大規模公共事業や環境問題などを追いかけていた。深夜に及びそうな取材では、腹ごしらえに一緒にトンカツを食べ、色気のない自分たちの姿に呆れたこともあった。
 いわき市と国際姉妹都市を結んでいるオーストラリアのタウンズビルを訪ねた時には、取材をしていて訪問団のバスに乗り遅れ、2人でタクシーを追いかけたり、訪問団と別 行動をとってまち歩きをし、道に迷ったりもした。
 ヒロコとのエピソードは尽きないが、記者の職業スタンスがそうであるように、基本的にはそれぞれで、さっぱりした気持ちのいいつきあいをしてきた。

 五年前だった。ヒロコは休職して、自費でアメリカ・フロリダのメディカルスクールに10カ月留学し、臓器提供や移植の現状を調べた。臓器移植医療には、日本の医療課題がすべて詰まっていると思ったからだった。手術室に入って移植手術の現場を自分の目で見て、帰国後は連載で伝えた。
 その後、フィリピンにも出かけ、臓器移植をめぐる情報のグローバリゼーションがフィリピンの臓器提供・移植に与える影響を探った。また東京大学医療政策人材養成講座で医療政策のあり方や具体的な政策提言策などを学び、医療ジャーナリストとしての知識を得てきた。そして、自分の前にある道を考えた。

 あまり言わないけれど、決めるまでにはかなり迷い、思い悩んだだろう。自分は何をしたいのか、何をすべきなのか、会社に対して何ができるのか。その結果 、選んだのがフリージャーナリストだった。
 退職が正式に決まった後、総務から健康保険や年金などの説明があったという。「あらためて、会社に守られていたんだなと思う」と、ヒロコはぽつり言った。とりあえず東京に住まいを移し、仕事ができる準備をする。
 別れ際、「とにかく2年頑張ってみる」と微笑むヒロコに、「もう決めたんだから、あとは前を向いてしっかり歩くだけだよ」と言って後ろ姿を見送った。ヒロコの周りには春風が吹いていた。

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