040回 Lucie Rie

大越 章子

 

画・松本 令子

学ぶことをやめず作り続ける

Lucie Rie

 今年初め、展覧会の広報会社からルーシー・リー(Lucie Rie)展の資料が送られてきた。細く高く伸びた高台からすっと広がった青い器、工房で作陶するルーシー・リーの写真、Lucie Rieの文字と響き。その1つ1つがシンプルで美しく、印象的で、一目であこがれ、新緑のころ、東京・六本木の国立新美術館で開かれるその展覧会を楽しみにしていた。

 ルーシー・リーは1902年、ウィーンで生まれた。父は医者、母は名門の出身で、ともにユダヤ系。美術学校の学生の時、陶芸科の教室でろくろを見てとりこになり、彫刻家志望から陶芸家に道を変えた。ナチスの迫害を逃れて36歳でイギリスに渡り、生計を立てるために器を作りながら、ガラスと陶製のボタンも制作した。
 異国の地で陶芸家として認められるためには、イギリス陶芸界の巨匠だったバーナード・リーチの世界を取り入れなければと焦った時期もあった。しかし弟子でテーブルウェアの共同制作をしたハンス・コパーに「自分自身の作品を作るべきだ」と助言され、救われたという。
 意欲的に作陶するなか、1952年の英国祭で作品が紹介されて名前は広まり、67年の回顧展以降、かたちと装飾、釉薬を洗練させ、ゆっくりと自分のスタイルを完成させた。
 国立新美術館での展覧会は初期から晩年まで約250点の作品と、直筆の釉薬ノートや手紙、写真などが並べられ、ルーシー・リーの人生と陶芸の姿勢や考え、作品の変化がわかる。BBCの80歳でのインタビュー番組が見られるスペースもあって、95年に93歳で亡くなったけれど、美術館でルーシー・リーに会ったように思えた。
 土や釉薬の性質を深く知り、釉薬テストを繰り返して技法と制作を追求し、独自のスタイルを作りあげたルーシー・リー。「陶器の制作は私にとって冒険。新しい創作はすべて新たな始まりである。私は決して学ぶことはやめないだろう」という言葉通 り、89歳の時に脳梗塞で倒れてほとんどの記憶を失うまで作陶し続け、凛と生きた。

 いわき市植田町で作陶している箱崎りえさんは20年近く前、雑誌に掲載されていた外国人の部屋の片隅に飾ってある陶器のコレクションが気になり、そのページをずっと持っていた。それがルーシー・リーとの出会いだった。
 それから10年ほどを経て、りえさんは滋賀県陶芸の森美術館で開かれた生誕百年の展覧会に、いわきから夜行バスに1人乗って出かけた。特別に大きくもない電気窯で、ただひたすら作り続けた姿勢も作品もすべて気に入っているという。偶然だが、ルーシー・リーのリーはRieと書き、りえさんが作品に記すRieと同じで、それに気づいても感激した。
 Rieのはなしを知ってから、ルーシー・リーとりえさんを連想する。ルーシー・リーを人生の座標軸にすると、いわきのRieはまだ作陶活動の折り返しにもきていない。いわきのRieはこれからどんな自分スタイルをつくるのだろう。
 ルーシー・リーは年を重ねながら、より自由に華やかになった。

 ※新国立美術館でのルーシー・リー展は終了したが、益子陶芸美術館で8月7日から9月26日まで開かれる。

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