041回 童話屋

大越 章子

 

画・松本 令子

子どもたちのために播いた種

童話屋

 東京・青山の児童館通りに「童話屋」という子どもの本屋さんがあった。土地勘がないとわかりにくいところで、初めて出かけた時は渋谷駅周辺をぐるぐる迷い歩き、交番で聞いてようやくたどり着いた。
 社長の田中和雄さん自身が読んで選んだ子どもの本がきちんと気持ちよく並んだ、30坪ほどの空間だった。そこには新しい出合いが必ずあって、気になる本を手に取りながら本棚を一巡りすると、いつの間にか時空を飛び越え、ふと現実に戻って大慌てした。
 書店を開いて数年後、童話屋は安野光雅さんの絵本をきっかけに出版も始め、くどうなおこさんの『のはらうた』や詩人たちのアンソロジー、シャーロット・ゾロトウの絵本など、思う本をいまも作り続けている。
 子どもの本屋は残念なことに閉店してしまったが、ちょうどそのころ出版した『葉っぱのフレディ』がミリオンセラーになり、多くの人々に愛読された。

 童話屋が本作りをして30年になる。このあいだ、銀座の子どもの本専門店でお祝いの田中さんの講演会が開かれた。田中さんは昨年、NHKのラジオ深夜便で二夜連続して半生を振り返ったが、その放送もアンコール放送も聞き逃してしまい、直接、講演を聞きに行った。
 田中さんは1935年、東京・本郷の生まれ。戦後、神保町の焼け跡で、古本屋のおじさんたちがみかん箱に本を並べて売っていた。10歳の田中少年は、大人たちの間から『ファーブル昆虫記』などを手に取り、よく立ち読みした。古本屋のおじさんは少年のそんな行動を大目に見ていただけでなく「小さいのに感心だな」とほめてくれ、田中さんは「大人になったら本屋になろう」と思ったという。
 大学を卒業して博報堂に就職し、そのあと仲間たちと広告のプロダクションをつくり、40代になって、少年のころの夢がよみがえってきた。「子どもの本屋をやろう」。子どもは身近な人や出合ったものを真似て学ぶ。江戸時代に貝原益軒が書いた『和俗童子訓』にも、幼い時にいい本に出会うと「心のあるじ」が善になる、とあり、子どもがいい絵本に出合う仕事を自分の仕事に決めた。
 2年間に4、5千冊の絵本を読み、自分の目で確かめて選んだ絵本を童話屋の本棚に置いた。ふらりやって来た谷川俊太郎さんに「ここで詩を読ませてください」と言われ、作家との集いを毎週開くようになり、安野光雅さんに本作りを提案されて出版も始めた。1998年には20年かけた、子どもが読む詩のアンソロジー『ポケット詩集』を出版した。冒頭の詩は、小学校低学年の担任の先生が黒板に書いてくれた宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にした。
 田中さんは言う。「幼い時に手に入れた小さな種がどんなに大事か。あとになって芽が出てくる。人が一番影響力があり、みんながいい人になればいい」と。田中さんは子どもたちが幸せになるよう、これからもいい本作りをしていくという。

 講演を聞いたあと、記念に岸田衿子さんのアンソロジー『いそがなくてもいいんだよ』を買った。「いそがなくてもいいんだよ/種をまく人のあるく速度で/あるいてゆけばいい」と、衿子さんはつぶやいている。みんなのために播く種。帰り道、わたしはどんな種が播けるのだろう、と思いを巡らした。

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