056回 望郷のバラード

大越 章子

 

画・松本 令子

住みなれた故郷を想うこころの灯

望郷のバラード

 さくらも新緑もいつのまにか過ぎた、青葉の美しい晴れた日曜日、なんとなく音楽が聴きたくなって、居間のステレオでCDをかけた。無意識に選んだのは天満敦子さんの「望郷のバラード」。3月11日の震災以降、音楽に久しぶりに耳をすました。
  このCDは7年前、母校の百周年を記念した天満さんの演奏会の際に購入した。天満さんのお母さんは相馬の出身で、相馬女子高から東京女子大に進学し、卒業後、磐城女子高の教壇に1年半ほど立った。その縁で、磐城女子高の節目には天満さんの演奏会が開かれている。
  100周年の記念の演奏会でも弾いた「望郷のバラード」。いまは天満さんのテーマ曲のようになっているが、その楽譜を天満さんが手にするまでには物語があった。
  1977年の冬だった。ウィーン大使館に勤めていた外交官の岡田眞樹さんがドイツを旅していて、郊外の小さなまちのレストランで毎夜、同じ曲を奏でるルーマニア人のヴァイオリニストのイオン・ヴェレシュさんと出会った。
  ヴェレシュさんは愛用のヴァイオリンと黄ばんだ楽譜を1枚持って、チャウシェスク政権下の祖国から逃れてきた亡命者だった。その黄ばんだ楽譜「BARADA」を弾きながら、故国と残した家族に想いを馳せている、と楽屋を訪ねた岡田さんに語った。
  その楽譜は19世紀後半、独立運動に参加して囚われた、ルーマニアの作曲家チプリアン・ポルムベスクが獄中、故郷の恋人を偲んで作った秘曲で、ポルムベスクは病のため29歳の若さで夭折している。
  岡田さんとヴェレシュさんは再会を約束して別れ、8年後、スイスのチューリッヒ近郊で再会した。その際、ヴェレシュさんは「もしこの曲にふさわしいヴァイオリニストがいたら、あなたの母国で演奏してもらえませんか」と、岡田さんに楽譜を託した。
  それから7年後の92年、岡田さんはルーマニアで天満さんの演奏を聴いた。モンティの「チャルダーシュ」。情感いっぱいの哀愁漂う演奏に、楽譜を渡すのはこの人だと思ったという。岡田さん自身、優れたアマチュアヴァイオリニストだった。
  そして翌年、天満さんは「望郷のバラード」を初演した。岡田さんはそのことをヴェレシュさんに伝えたくて行方を探したけれどわからず、生死も定かでない。
  12月半ばにアリオスで、天満さんとピアニストの小原孝さんの演奏会が開かれた。プログラムの最後は「望郷のバラード」。何度演奏しても、弾くたびに違う表情をみせるという。この日は聴衆をやさしく包み込み、一音一音がこころにしみ入る演奏だった。弾き終えた天満さんはそっと目頭を押さえた。
  2011年、大きな震災と原発事故が起き、それぞれがこれまでにないほど暮らす地域や故郷を思い、考えた。いまもなお多くの人が当たり前に生活してきた場所に帰れず、それに、住み慣れた地にいながら不安を抱え「これから」に揺れている人たちもいる。
  どんなに頑張っても3月11日以前と同じには戻れないし、しばらく状況は好転しないかもしれない。時には疲れ果 て、寂しくやるせない思いにかられる時もあるだろう。そんな時「望郷のバラード」は、こころの灯の一つになる。
  静かに耳をすますと、国境までも越えて故郷を想う人々の気持ちと重なり、一筋の光が見えてくる。

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