059回 西行と義清

大越 章子

 

画・松本 令子

一人で生きる道を選び出家する

西行と義清

 このあいだ、三浦しをんさんの『舟を編む』を読んでいて、125ページの終わりで目が釘づけになった。辞書を作ることに人生をかける辞書編纂者たちの物語。中世文学が専門の教授から届いたやっつけ仕事の原稿のなかから、西行の項目が紹介された場面 だった。

  さいぎょう【西行】(1118~1190)平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した歌人にして僧侶。出家前の名は佐藤義清。鳥羽上皇に仕えた北面 の武士だったが、23歳のときに思うところあって、泣いてすがる我が子を振りきり出家した。以後、諸国を旅し……。

  佐藤義清、佐藤義清。どこかで聞いた名前だった。鳥羽上皇に仕えた歌詠みの北面 の武士と言えば、毎週見ているNHKの大河ドラマ「平清盛」に出てくる藤木直人さんが演じる佐藤義清が浮かぶ。「そうか、佐藤義清は西行だったのか」。西行と藤木さん、佐藤義清が結びついた。  佐藤義清は藤原鎌足の家系に生まれ、18歳で兵衛尉(皇室の警護兵)になった。御所の北側を警護する北面 の武士として鳥羽上皇に仕え、容姿端麗、弓や馬術にひいで、蹴鞠が得意、和歌もすぐれていた。平清盛とは同じ年に生まれ、同じ北面 の武士として親しくつきあい、その関係は生涯続いたという。
  順風満帆の人生だった。しかし23歳の時に突然、出家してしまう。その理由には保元の乱を控えた政治状況に嫌気がさした、ある高貴な女性に失恋した、親友の急死に世の無常を悟った、数奇の道に入るためなど、いろいろな説がある。
  ドラマでは、満開の桜の下で無力感に絶望していた義清に、駆け寄ってきた幼い娘が花びらを手渡す。その花びらを微笑んで見つめていたが、やがて険しい表情に変わり、急に娘を蹴落とし去って行く。義清が一人で生きる道を選び、出家を決めた瞬間だった。

  世を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人をぞ捨つるとはいふ

 出家を前に、義清はそう詠んだという。阿弥陀仏の極楽浄土が西方にあるから西行。出家後はこころ赴くまま、あちこちに庵を結び、漂泊の旅に出かけ、多くの歌を詠んだ。 

  願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ

  西行の代表作のこの歌は亡くなる10数年前に詠んだ。  私は春、桜の下で死にたい。願わくは釈迦入滅の2月15日ころに、満月の光を浴びた満開の桜が、私と私の死を照らし出さんことを。
  その願い通り、西行は2月16日、73歳でこの世を去った。亡くなる2年前、まだ少年だった明恵上人に、西行は歌について語っている。  「歌は即ち如来の真の姿なり。されば一首詠んでは一体の仏像を彫り上げる思い、秘密の真言を唱える思い」。それは西行がたどり着いた和歌観という。桜の詩人から月の歌人への伝授にも思える。

  春めいてきたこのごろ。今年はどこの桜を見に行こう。西行が眠る山は1500本の桜に覆われている。

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