067回 言葉のちから

大越 章子

 

画・松本 令子

むき出しになったものと対峙し綴り続ける

言葉のちから

 ぽろり、涙がこぼれそうになり、慌てて手でぬぐった。もともと涙もろいけれど、震災後、ますますもろくなった。ふとしたことで涙が溢れ、本人の意志を無視して、止まらなくなることもある。
  喜多方の大和川酒蔵で開かれた、会津・漆の芸術祭2012のシンポジウムでも、隣に座っていたシャイな青年がトークを交えて歌い始めると、その世界にどんどん引き込まれ、震災後を歌った詩に涙が落ちそうになった。
  音楽はあくまでBGMで、こころの底から吐き出された青年の言葉が、まっすぐ胸に響いた。ハンカチを取り出すのはためらわれ、さり気なく手でぬ ぐい、斜め上に目をやったり、深呼吸をして目に力を入れたりして、どうにか持ちこたえた。
  シンポジウムのテーマは「アートにできること できたこと」。前半は、青年を除く6人がそれぞれ、震災後にしてきたことを話した。わたしは、言葉にふれた。

  震災が起きて、表現の手段である言葉が情報でしかなくなった。地震と津波の大きさや被害の状況、福島第一原発の様子、避難の必要性、放射線量 …。情報でしかない言葉を、つけっぱなしのテレビやネットを見ながら、書き留め続けた。
  でも書きながら感じる肌ざわりと、情報である言葉にずれがあるような気がしてならなかった。例えば3km、10km、20kmと同心円状に拡大していく避難区域や、「ただちに健康に影響はありません」と繰り返す説明。情報にもならない言葉は、言葉の信頼を失墜させた。言葉の無力さを痛感した。

 そんな時、朝日新聞で作家のあさのあつこさんの文章を読んだ。 

  試されているのだと思う。言葉の力が試されている。 
  おまえはどんな言葉を今、発するのだとこれほど厳しく鋭く問われている時はないのではないか。被災地に必要なのは、今は言葉ではない。物資であり人材であり情報だ。けれど、まもなく本物の言葉が必要となってくる。半年後、1年後、10年後、どういう言葉で3月11日以降を語っているのか、語り続けられるのか。ただの悲劇や感動話や健気な物語に貶めてはいけない。ましてや過去のものとして忘れ去ってはならない。剥き出しになったものと対峙し、言葉を綴り続ける。3月11日に拘り続ける。それができるのかどうか。問われているのは、わたし自身だ。
(※前半は省略)

  言葉を失ったみたいに言葉の価値を感じられないなかで、背中をぐいぐい押して取材に歩き、自分の目で見て耳で聞き、肌で感じたことを原稿に書いた。思うように言葉が出てこない時も、立ち止まらずにずんずん進み、湧きあがってくるものを言葉にした。
 早く、洗濯物を外に干せるようになるといい/もう原子力発電所はいらない/ほんとうに安全ですか/見捨てられることがあってはいけない/子どもには汚染されていない産地のものを食べさせる 
  そうしているうちに、いつの間にか言葉に心が響くようになり、元気や勇気をもらっている――そんなことを話した。それは、あとの青年のライブでも実証された。

  「まもなく本物の言葉が必要になってくる。剥き出しになったものと対峙し、言葉を綴り続ける」。あさのさんの言葉を胸に、きょうも原稿を書いている。

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