069回 麻沙子さんの思い

大越 章子

 

画・松本 令子

音楽を通して社会とつながっていきたい

麻沙子さんの思い

 昨年12月、佐賀市のホールで、いわき市へのチャリティーコンサートが開かれた。直線距離で1050kmも離れた佐賀で、応援の音楽会が開催されたのは、演奏者の1人にアリオスを拠点に活動している、弦楽四重奏団「ヴィルタスカルケット」の団員で、ヴァイオリニストの三上亮さんがいたからだった。
  主催した麻の会は、井手節子さんが娘の麻沙子さんの思いをかなえるために、2010年春、音楽教室「スズキ・メソード」のお母さん仲間を中心に結成した。コンサートを開いて収益金を寄付するとともに、病院などで訪問演奏会も開いている。

  麻沙子さんは2歳半から音楽教室に通い、ヴァイオリンを学び始めた。ヴァイオリンが大好きで、いつしか生活の中心はヴァイオリンになっていたが、両親は音楽の道に進めたいと考えていたわけではなかった。  ところが高校3年生になって進路を決める際、「やっぱりヴァイオリンでいこうかな」と言い始め、節子さんたちを慌てさせた。音楽教室のほかは何もレッスンを受けておらず、ソルフェージュの先生などを捜して受験準備をした。
  そして玉川大学芸術学部に合格。ゆったりした校風のなかで、たくさんの仲間と出会い、さまざまな活動をしながら、楽しく大学生活を過ごした。でも悲しい出来事もあった。音楽教室を勧めてくれた父の光生さんが、大学一年の時に亡くなった。
  大学でヴァイオリンを学びながら、麻沙子さんの心には、留学したい気持ちがぼんやり現れていた。卒業間近に参加した草津の国際音楽祭で、フランス人ヴァイオリニストのピエール・アモイヤルさんと出会い、その縁でスイスのローザンヌ音楽院に留学した。

  留学して3年目の2008年初夏、麻沙子さんは微熱のある体調の悪い日が続いた。何とか試験を乗り切ったものの、そのうちにヴァイオリンをのせる、左の鎖骨辺りが腫れて痛むようになった。病院で診てもらうと大腸がんと診断され、手術を受けた。
  その後、残暑が続く日本に帰国し、福岡の病院で治療を受け、佐賀市の自宅から通 院するまでに回復した。母も娘も死は考えていなかった。完治は望めず、留学を続けるのも難しい。その現実を受け止め、これから音楽とどう向き合っていったらいいのかを、二人で話し合った。
  「音楽を聴きに行けない人たちのところへ行って弾きたい」。麻沙子さんは前向きだった。病気になったからわかることがある。音楽を通 して、同じ痛みをわかちあえると考えた。
  秋、楽器店で楽譜をたくさんに買ってきて、ヴァイオリンを弾いてみた。病気がわかってからずっと、ふれていなかったが、スイスで同じアパートの上階に住んでいた、友人の三上さんのCDを聴いて、どうしても弾きたくなった。
  「少しなら」と思って弾き始めたら、止まらない。5カ月ほどブランクがあったものの、思っていたほど腕は落ちていなかった。サンサーンスのソナタを1週間、練習し続けた。
  12月、麻沙子さんは再入院した。死を覚悟したのか「音楽で社会とつながるために頑張ってきたのに、できないのが残念」と、節子さんに話した。クリスマスの翌日、容体が急変し、27日、帰らぬ 人となった。26歳だった。

 師のアモイヤルさんは、麻沙子さんのヴァイオリンの音を「ピュアで強い」と評価していた。ピュアで弱い音は多いが、ピュアで強い音を出せる奏者はそういない。ふわっと、おっとりしていて芯が強い、麻沙子さんの人柄が音に表れていた。
  節子さんの手元には、スイスでの練習を録音したMDや、音楽教室に通 っていたころのカセットがある。カセットには麻沙子さんの声も入っているため、そのままになっていたが、やっとこのごろ「聴いてみようか」と、思い始めているという。
  麻沙子さんの思いを節子さんが受けつぎ、三上さんを介していわきとつながった。これからも節子さんはそうやって、麻沙子さんの思いを地域や社会に広げていくのだろう。

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