071回 岩戸の塩(2013.3.31)

大越 章子

 

画・松本 令子

「忘れていません」の遠方からの定期便

岩戸の塩

 いわき市平下平窪の半澤裕子さんの元に一昨年6月から毎月、「岩戸の塩」がぎっしり入った箱が届いている。贈り主はその焼塩をつくっている、三重県伊勢市二見町の旅館「岩戸館」の女将の百木智恵子さん。15年前、長男の体質改善を目的に塩づくりを始め、いまは次男の良太さんが思いを継いでつくっている。 
  昔から二見町では、伊勢神宮の神事に使う塩がつくられてきた。岩戸の塩は、神宮林からの伏流水と海水がまじわる、神前海岸の満ち潮時の海水を汲みあげて、旅館の裏の塩工房の鉄製の登り窯で、15時間かけて海水を少しずつ沸騰させ、水気を完全に飛ばしてつくられる。 
  1トンの海水からできる塩はわずか15キロ。伏流水がまじわらない海水の半分にしかならないが、伏流水には大地のミネラルが含まれていて、つくられた塩もミネラルが豊富で、うすクリーム色なのはそのためという。口にふくむとやさしく、懐かしい味がする。

  つくり始めて2、3年後、塩を科学的に分析してもらうと、デトックス(体内浄化)の効果 が高く、「体から放射能が抜ける効果がありますね」と言われた。酸とアルカリ、それに浸透圧の関係もあるのだろう。もともと人間の体は必要なものを吸収し、いらないものは排出する。
  智恵子さんは五5年前、ウクライナの日本大使館の大使にチェルノブイリの悲惨な状況を聞き、「子どもたちに」と、岩戸の塩を渡した。2度目はウクライナの保健省の許可が下りず持ち込めなかったが、子どもたちの免疫力は高まったという。
  そのとき、通訳を介して取材を受けたが、「3、4年後、日本もチェルノブイリと同じになる。日本は地震のある国だから」と、言われた。まさにその言葉通 り、2011年、福島第一原発の事故が起きた。
  智恵子さんは「子どもたちに塩を送りたい」と思ったが、福島には知り合いがいなかった。同じ思いで野菜を贈っていた人を介して裕子さんと知り合い、「子どものいのちを守ってほしい。使命と思って、子どものいる人、お腹の大きい人に手渡してほしい」と、岩戸の塩を託した。
 以来、毎月、岩戸の塩を裕子さんに送っている。

  一昨年9月、裕子さんはお礼を兼ねて智恵子さんを訪ね、塩工房も見せてもらった。「これからは購入します」と言う裕子さんに、智恵子さんは「これぐらいのことしかできないので、お役目だと思って配ってください」と話した。470キロ離れている。原発事故から2年が経ち、距離があればあるほど、事故の記憶は薄らいでいる。そのなかで、定期便のように届く岩戸の塩には「忘れていませんよ。日々の暮らしに気をつけてね」という、智恵子さんの気持ちも込められていように思う。裕子さんの元には、智恵子さんへのお礼の手紙がたくさん届いている。
  智恵子さんはいま、砂糖づくりも始めている。かつて日本人は、てまひまをかけて風土、や気候、体に合ういいものを作ってきた。岩戸の塩はそれも教えてくれる。

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