072回 紫色のクッション

大越 章子

 

画・松本 令子

大叔母の思い出がいっぱいつまっている

紫色のクッション

 大叔母が亡くなった。91歳だった。あきらめのつく年齢ではあるけれど、ふとした時に「もういないんだ」という気持ちがよぎり、さびしさを感じている。隣同士で家族のように暮らしてきたから、よけいかもしれない。
  毎朝、出勤前に立ち寄ってあいさつを交わし、ここ数年は右手タッチが互いの1日のはじまりだった。「いつまでも元気で」と思いを込めて、力いっぱいタッチする。「痛い!」とよく叱られたが、大叔母も負けてはいない。本気で返してくる。
  88歳のお祝いを小旅行を兼ねて温泉旅館でして、久しぶりに一緒に温泉に浸かり、普段は気づかない老いを知った。それからは、いつまでもいつまでも、こんな騒がしい朝が続けばいいと思ってきた。

  震災の前年ごろから、日課にしていた散歩を億劫がるようになり、湯船で立てなくなることが何回か続いた。そして、震災の年の夏からは横になることが多くなった。
  昨年の秋、口からぶくぶく泡を吹き、救急車で病院に運ばれた。誤飲性の肺炎を起こしていた。水さえ飲み込めなくなり、それからずっと点滴でいのちを繋いだ。容体は数週間で安定し、次の療養先を考えなければならなかった。
  きっと住み慣れた家で過ごしたいだろう。大叔母の気持ちを察した叔母は自宅療養を探ったが、点滴が壁になった。24時間ずっと点滴をしているお年寄りに対応できる在宅医療がないという。多くの選択肢がありそうで、実はほぼレールを敷かれているのが、お年寄り介護の現状だった。
  そのなかでも納得できる病院を選び、療養を続けた。小さな変化に一喜一憂し、桜の咲くころには家に帰れるようにと、みんなで願っていた。いまは冬ごもりをしていると。しかし2月末、大叔母は静かに眠るように息を引き取った。

  49日が近づいたころ、叔母から蝶の刺繍がついた紫色のクッションを渡された。大叔母が大切にしていた帯をほどいて作ったという。あんなに毎日泣いていた叔母はミシンを踏みながら、少しずつ元気を取り戻している。
  草原を飛ぶ蝶の刺繍は大叔母のお手製。女学校を卒業して、敷地内の桜丘会館で行われていた花嫁学校に2年間通 った時に、刺繍を習った。箪笥のなかからは、当時の課題制作も出てきて、いいものは額装した。
  紫色のクッションはいま、わたしの車の後部座席に置いている。よく一緒にドライブしたからか、何となく大叔母を乗せて走っている気がする。

  けさも出勤前に大叔母の家に立ち寄り、タッチの代わりにお線香を手向けた。叔母はきょうも忙しく片づけをしている。

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