073回 思い出の建物(2013.5.31)

大越 章子

 

画・松本 令子

制服を着ていた時代に戻れる風景

思い出の建物

 このところ、磐城女子高校の東門そばに建っていた、小田講堂を思い出している。原稿の校正で、講堂が出てくる場面 を繰り返し読んでいたからか、それとも大叔母の遺品から、講堂の落成記念のポストカードを見つけたからなのか、桜丘会館が保存・利用されることを知ったからなのか、風景や空間、質感、そこでの思い出が時折、浮かんでくる。

  小田講堂は昭和11年に、小田炭鉱の経営者だった小田吉次さんの寄付で建てられた。洋風の木造平屋建て、面 積は621平方メートル。白漆喰の格天井と方杖、中央天井のレリーフとシャンデリア、ひし形や丸形アーチの化粧窓、透明板と型板ガラスの組み合わせによる採光など、女生徒を思うやさしさが表れていた。
  なかでも屋根の構造に、設計者の思いが込められた。入口はキングポストトラスト、メイン部分は敢えて複雑なクイーンポストトラストで組まれ、女性が男性より軽んじられた時代、ひそやかに女生徒にエールを送った。
  学校のシンボルだったその講堂が取り壊されることになった時、同窓会と教師たちは「残してほしい」と訴えた。しかし学校と県は、調査で危険建築物と診断されたことと、講堂を壊すことを前提に第2体育館の建設を進めていたため、まったく聞き入れなかった。 
  重機を使い、講堂は2日間で壊された。工事の合間に建物の造りや状況を調べた地元設計士によると、梁も土台もしっかりしていて、床下の土も乾燥した理想的な状態で、まだまだ使えたという。跡地は駐車場になった。
  それから二十数年経つが、講堂があった当時を知る同窓生などには、学校が殺風景で物寂しく、他人行儀に感じる。

  小田講堂より2年あとに、皇紀2600年と創立25周年を記念して建てられた桜丘会館は、卒業生の花嫁学校や図書館となり、その後は合宿や茶道などの部活動に使われていた。しかし耐震性の調査で基準に合わず、平成19年から使用が禁止されていた。2年前の震災でさらに内部の破損は目立つが、あれだけの強く長い揺れにも耐えた。
  実は、桜丘会館を壊して、駐車場にしようという話が出ていた。それを阻止したのは会長の玉 手匡子さんをはじめとする同窓会の思いと熱意、3月まで校長だった守谷早苗さんの尽力という。小田講堂がなくなり、校庭のイチョウ並木が切られ、そのうえ桜丘会館まで壊してしまったら、学舎のランドマークを失ってしまうと考えた。
  登録文化財の手続きをして保存を進め、改修費は主に同窓会が負担し、再び、部活動などで利用できるようになった。小田講堂を守れなかった悔いが、桜丘会館を存続させた。古いいい建物が残らないいわきで、画期的なことだと思う。

  毎年春に、学校前の桜並木を楽しそうに歩く女性たちを見かける。ゆっくり小さな並木を往復しながら、しばらく制服を着ていた時代にタイムスリップする。そうして桜丘会館をバックに写 真を撮る。これからも微笑ましいその光景は続き、受け継がれていくだろう。

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