087回 トーベ・ヤンソンさん

大越 章子

 

画・松本 令子

好きなことをやり続け、自分らしく自由に生きる

トーベ・ヤンソンさん

 幼稚園時代のアルバムに、新宿の京王百貨店で開かれたムーミン展の記念のスタンプシートが貼ってある。「ムーミン」のアニメーション番組の放送が始まった翌年ごろで、出迎えのムーミンとノンノン人形に大感激し、ムーミン谷の住人気分で会場を歩き回った。
 そんな昔のことを思い出しながら、春に松屋銀座でムーミン展を見た。「ムーミン」シリーズの作者トーベ・ヤンソンさんの生誕100年を記念した展覧会で、下絵や習作を含めた200点の挿絵原画が並んだ。
 そのほとんどは小さく、しかも繊細で緻密な線で描かれているので、間近で向き合わないとよくわからない。大混雑のなか大変だったが、1つ1つ見ていくとムーミンの絵の変遷がたどれ、物語に託したヤンソンさんの思いも伝わってきた。見終えたあと、かつてアニメーションを夢中で見たおとなたちへの贈りものの展覧会だと感じた。
 ヤンソンさんは1914年8月9日、フィンランドのヘルシンキで生まれた。父は彫刻家、母は画家、弟が二人いる。絵を描いたり、本を読んだりするのが好きな子どもで、おはなしを作りながら学校に通 ったのでたびたび遅刻したという。
 ある夏、過ごしていた島で弟とけんかをして、ものすごくみっともない小さな怒った顔を小屋の壁に描いた。その落書きがのちにムーミントロールになった。名前は、美術を学ぶためにストックホルムの叔父さんの家に下宿していた16歳の時、お腹がすいて夜中に台所をうろついていたのを見つかり「レンジ台のうしろにはムーミントロールがいるぞ。こいつらは首筋に息を吹きかけるんだ」と、叔父さんに言われたことに由来する。 
 人生の前半にはいくつもの戦争があった。生まれる2週間ほど前に第1次世界大戦が始まり、3年後、フィンランドは独立宣言して、それをきっかけに内戦となった。4カ月続いた内戦が終わって7カ月後、第1次世界大戦も終結した。
 15歳前後には国内各地でテロが多発し、1939年に第2次世界大戦が起きて、30歳まで続いた。ヘルシンキは連日爆撃を受け、ヤンソンさんのアトリエの窓ガラスも爆風で吹き飛んだ。
 だから幼いころから「世界は滅びるのではないか」という不安を持っていたという。そしておとなになっても、続く戦争の恐怖と不安に世界の終わりを見て深く傷つき、戦いが激しくなるにつれて描く絵から色が消え、灰色となり、ついには絵筆がとれなくなった。
 その八方ふさがりの状態から抜け出すために、ずっと心のなかに住みついていたムーミンの物語を書き始めた。ムーミン谷は幼いころから夏を過ごしたフィンランド湾の島々、ムーミン屋敷はお客さんの絶えなかった祖父母の別 荘から思い描き、登場人物は両親など身近な人々がモデルになっている。
 日々の生活から生まれた物語に登場する人々は個性的で、それぞれ独自の世界を持っているために悩み苦しみ、けんかもするし、自然に囲まれた暮らしは地震や津波、大洪水、飢饉、彗星の衝突など生命を脅かす危険に満ちている。そのなかで哲学好きなヤンソンさんは本質をついた短い言葉を紡ぎ出し、互いに尊重し、だれもが自分らしく自由に生きることの大切さを描いている。
 1970年、8冊目の『ムーミン谷の十一月』を出版し、25年続いたムーミンシリーズにピリオドを打った。その後もヤンソンさんは大人向けの小説を書き、油絵を描き、好きなことを徹底してやり続けた。
 70歳になったころに油絵をやめ、77歳ごろまでに身辺整理をして、50歳から毎夏、過ごした島からも引きあげた。晩年は生家や学校が見えるアトリエでのんびり暮らし、2001年、86年の生涯を静かに閉じた。  それはまさに、好きなことをやり続け、自分らしく自由に生きた潔い人生だった。

ムーミン展の最後にはムーミン谷のジオラマが展示されていた。どんな個性の持ち主も尊重され受け入れられる、温かな世界がそこにはある。

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