097回 ありふれた日常

大越 章子

 

画・松本 令子

心地よくてやさしくて、すてきな時間

ありふれた日常

 すんだ青空がひろがった5月下旬、父が永遠の眠りについた。79歳、まだ少し早い旅立ちだった。万緑の里山をのぞむ病室で、窓から舞い込むさわやかな風を感じながら、家族や兄弟、姪などとそれぞれ穏やかな別 れの時間を持ち、その夜、静かに逝った。
 肺の病でここ10年ほど通院していたものの、山に登り、ゴルフや囲碁を楽しみ、旅行に出かけ、飼い犬と散歩し、普通 に暮らしてきた。けれど昨秋、風邪をこじらせたのをきっかけに、体調のバランスはがらがら崩れていった。
 ひどい咳が続いて12月半ばには気胸になり、たまった空気を外に出す手術をした。退院後は酸素装置をつけて過ごしたが、それでも車を運転して出かけ、こっそり犬の散歩もするぐらい回復した。
 しかし2月末ぐらいからまた体調は悪くなり、3月下旬の通院日に2度目の入院をした。歩くだけで酸素濃度が下がり、食欲もないので家庭料理を持参して食べさせた。退院は桜が満開のころ。2週間後、熱を出して3度目の入院をした。
 息苦しくならないよう事前の策としてベッドから降りることを禁じられ、食欲はまったくなくなり、日に日に体は衰えていった。それはまるで急な坂道を転げ落ちるようだった。

   亡くなる10日前の日曜日、父は5時間ほどわが家で過ごした。ベッドから解放して自由に歩かせてみたかったのと、自宅での療養を考えていたので、そのお試しでもあった。病院から出ると戯れる薫風を感じたのか、目をつむって深呼吸をし、とても気持ちのいい表情をした。
 家では普段通り、ロッキングチェアに座ってお茶を飲み、庭のオールドローズを眺め、散歩の相棒の飼い犬のるんるんと会った。何十年も使っているベッドでひと休みし、母の手料理を食べ、毎週、録画までしていた囲碁番組や、ジャイアンツ戦を見た。
 離れて暮らす妹も帰郷し、久しぶりにわが家で家族全員がそろった。ただそれだけの、たわいもないありふれた日常がなにより心地よく、やさしく、すてきであるかを、ひとりひとりが感じた時間だった。
 病院に戻る際、きょうは試しであること、次は1泊するようにして、少しずつ準備をして家で療養できるようにしよう、と父に説明した。帰って来た時よりずっと力強い足取りで、父は病院に戻って行った。

   父が逝って3週間になる。母は毎朝、祭壇の遺骨と写真の前で「パパ、おはよう」、寝る前には「パパ、おやすみ」などと、まるでそこにいるように時々、声をかける。母だけではない。家族や親戚 などみんながそうで、なにかと話しかけ、コーヒーや紅茶を飲む時は父の分もいれ、甘いものなど好物はまっ先に供える。
 死を認めていないわけではない。ただ肉体は消えて目には見えなくても、そこにいる感じがしてならない。だから父が家にいた時と同じように暮らしている。わが家で五時間ほど過ごしたあと、体は目に見えて弱っていったが、最後まで父らしさを失わず「生きたい」という意志を、わたしたちに伝え続けたからかもしれない。
 「ほんとうのことは、目には見えないものなんだよ」というキツネの言葉にかこつけて、相変わらず少年のような妖精になってロッキングチェアに座っている、と思っている。

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