106回 米谷先生

大越 章子

 

画・松本 令子

こころの底からわきあがる言葉を書く

米谷先生

 この春は、さくらを眺めながら、小学1、2年生の担任だった米谷温子先生を思い出している。幼稚園時代に繰り返し読んでいた『もりのおいしゃさん』のおっちら先生みたいにでっぷりして、たくましく、温かで厳しい先生だった。
 入学式の日の教室の様子をよく覚えている。父の仕事の関係で、数日前にいわきに越してきたばかりだったから、すべてが物珍しく、指定された席に座って周りをきょろきょろ眺めていた。そのうちに米谷先生が1人ずつ呼名を始めた。 
 だんだん順番が近づいてくる感じのなかで、先生は「おおこし しょうこさん」と呼んだ。「わたしじゃない、同じ大越がいる」と思ったわたし。返事がないので、再び先生は名前を呼んだが、やっぱり返事はない。
 そして3度目、先生はわたしをぎっと睨みつけて名前を呼んだ。もしかしたら先生は、わたしを呼んでいるのかも。気づいたわたしはすっと立って「先生、わたしはしょうこではありません、あきこです」と説明した。
 帰り道、あなたの名前の漢字は「しょうこ」とも読むのだから、ああいう時は返事をしておいて、あとで先生に言えばいいのよ、と母に諭された。いち早く先生に名前を覚えられたわたしは、翌日から肝油ドロップをスプーンで1人1人に手渡すなど、いろいろお手伝いをさせられた。

 もともと中学校で国語を教えていたので、先生はずいぶん国語の学習に力を入れた。教科書の音読はもちろん、文章も何度書き写 したことか。授業や宿題だけでなく、帰りの会のあとに書き写させることもあって、できた子から帰宅が許された。時には算数の計算問題や九九などもさせられた。
 作文や感想文をよく書かせ、土、日曜には日記の宿題を欠かさず、本の世界の面 白さを教え、時には物語を読み聞かせ、それを絵に描かせることもあった。ある日、ぶらんこの詩を書く課題が出された。
 書き終えて先生に持って行くと「最後の1行がだめ」と、返された。何度直しても同じで、どうしたらいいのかわからず、途方に暮れた。実際にぶらんこをこいだりもして、何日かかっただろう。13回目の直しで、ようやく通 った。
 あの時はわからなかったが、こころの底からわきあがってくる言葉を書きなさい、ということだったのだろう。文章の基本の基本と、書く楽しさをずいぶん教えられた。 

 その後、先生はよその学校に転任したがずっと連絡を取り合い、いつも半歩先のわたしを見つめ、アドバイスをしてくれた。連絡が取れなくなったのは10年ほど前。高齢になり、東京にいる息子さんが暮らす近所の施設に入るとのことで、その後、音信は途絶えた。どうしているか、時々気になりながら、連絡を取る術がないままだった。
 昨年のいまごろ偶然、先生の最初の教え子という婦人に会い、1カ月半ほど前に先生が亡くなったことを知った。98歳の大往生だったという。秋にお墓参りに行き、手を合わせて積もる話を少しした。背中をやや丸め、ふくよかな手でガリ切りをする先生の姿が浮かんだ。
 この春はなかよしの同級生たちと行くつもりだったが、スケジュールが合わず、新緑のころになりそう。毎年、少しずつ先生のお墓参りに一緒に行く同級生が増え、そのうちお墓参りを口実に、米谷クラスの同級会ができたらいいと思っている。

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