113回 生き抜くという旗印

大越 章子

 

画・松本 令子

わずかにうごく指先で言葉を動く紡ぎ、覚悟を綴る

生き抜くという旗印

 嗚呼 僕も 
 生きているんだ
 青空の
 真っただ中に
 融け込んでいる

 仙台で暮らす岩崎航(本名・稔)さん(40)の五行詩。3年前に出版した詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)の巻頭に掲げられている。 
 岩崎さんは3歳で筋ジストロフィーを発症した。時間とともに全身の筋肉が衰えていく病。徐々に歩くのが難しくなり、中学3年生の時に立ち上がれなくなった。23歳から人工呼吸器を使い始め、29歳で胃ろうを造設し、家族や友人、医療者や介護士などに助けてもらいながら、自宅で生活している。

 17歳の時、岩崎さんは死んでしまおうと思ったことがある。高校は通 信制で学び、家からほとんど出なくなって、社会から取り残されていく孤立感を抱いた。これからどう生きていけばいいのか。将来が見えず、ある日の午後、目の前のナイフでいのちを断とうと考えたという。けれど、こころの奥底にあった「生きたい気持ち」が衝動を抑えた。
 岩崎さんの言葉を借りれば、その出来事は嵐にこぎ出す航海の始まりのようなもので、やがてベッドで過ごすようになり、激しい吐き気に悩まされ、病との葛藤の日々が続いた。ようやく体調が落ち着いた25歳の時、種田山頭火の自由律俳句を読んで短い詩の世界に魅せられ、その後、五行詩と巡り会った。
 いまもわずかに動く指先で、パソコンや携帯電話に言葉を書きとめ、詩作し、作品はホームページで発表している。 

 岩崎さんは、わたしが学生時代に仲間たちと毎週訪ねていた、仙台の西多賀病院の筋ジストロフィーの子どもたちと同世代で、詩集の五行詩を読みながら、その子どもたちのことを思い出した。 
 子どもたちは病気の進行を遅らせるトレーニングや治療のために、家族と離れて病院で暮らし、隣接する養護学校に通 っていた。土曜の午後の数時間、一緒に宿題をしたり、散歩したり、子どもたち流の野球やサッカーをしたりして、少し年の離れたお姉さんという感じで接していた。
 幅広い年齢の同じ病気の人たちと生活していたので、病気の進行を肌で感じ、子どもでも死を意識した。時に「僕は高校の制服が着られるかなぁ」や「ここから飛び降りたら死ねるのか」などと不意に聞かれ、答えに戸惑うことがあった。

 苦しいことはたくさんあるし、身体もどんどん不自由になっているけれど、岩崎さんは「生きていてよかった」と、思うという。例えば、冒頭の詩でもふれているように、外出してまっ青な空を見た時に…。 
 絶望のなかで見いだした希望、苦悶の先につかみとったいまが、岩崎さんにとって一番の時で、闘い続け、生き続けることを言葉にしている。そして自分に呼びかけるように、生きる覚悟を綴る。 

 点滴ポールに
 経管食 
 生き抜くと 
 いう
 旗印 

 授かったいのちを、最後まで生きぬく。このごろは、せっかく生きているのだから、楽しく生きようとも思っているという。

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