119回 父のお墓

大越 章子

 

画・松本 令子

シンプルな形に山の彫刻、碁盤の荷物置き

父のお墓

 父が逝って、2年が過ぎた。ちょうど土曜日だったので、命日に三回忌とお墓の開眼法要をした。墓地の造成工事の関係で、お墓は一周忌に間に合わず、ご住職の「寺でもご自宅でも同じですから、お父さん(遺骨)はご自宅に置いたらどうですか」との言葉もあって、父は2年間、茶の間の仏壇の隣にいた。
 四十九日までのつもりが、「すぐお盆が来るから、みなさんに会ってもらうといいでしょう」と勧められて、百か日まで延ばし、それからお墓ができるまでとなり、そのお墓の建設が延びた。いつの間にか、四角い箱に入った父が茶の間にいるのが当たり前になっていたので、少しの間、お墓に納めた安堵感と寂しさが、わが家に漂っていた。 
 父は死をまだ遠いものと思っていたのだろう。家族の間でお墓の話題が出ても「その時は娘たちに任せればいい。海に撒くのもいいだろう」などと冗談半分に言って、真剣に取り合わなかった。自分の死後について、まったく言葉を遺さずに逝ってしまい、それも、あれよあれよという間だったから、残されたわたしたちは困惑した。
 どんな葬法を父は望み、生き方に似合うのか。家族でずいぶん話し合った。大学時代から本格的に山に登り始め、生涯、山と自然を愛した人だったので、樹木葬がふさわしそうだけれど、でも寂しがり屋だから、などと父の思いを探った。それに、わたしたち家族や周囲の人々の気持ちも考慮した。
 結論はやはり、菩提寺にお墓を造ることにした。造成工事の遅れで、建てるまでに時間があったので、それらしい本やテレビ番組を見たり、実際にあちこちのお墓を眺めたりした。意識して見ていると、いろんなお墓があり、それぞれ思いや工夫を感じる。
 さりげなく片隅にその家の歴史が刻んであるものや、開いた本など生前好きだったことを形にしたもの、愛犬も一緒に眠れるように犬小屋の石碑をそば建てたもの。墓石に刻んだ言葉も「ありがとう」や「ゆめ」、「やすらかに」などさまざまで、なかには「I LOVE YOU」というのもあった。
 石材屋さんに相談しながら、家族でお墓のデザインを考えた。敷地を囲う外柵は省き、しゃがんで手を合わせられる高さ、耐震性、そして何よりシンプルに。わが家のお墓であるけれど、だれもが父をイメージし、荷物置きは碁盤のように、墓石には山を彫ってもらった。苗木も植えたかったが、大きくなって周りに迷惑がかかるといけないからやめた。
 最後の最後まで決まらなかったのは墓石に刻む言葉。「偶然、通 りかかった人がふと目にしても、ちょっと元気がもらえたら」などと考えると、深みにはまるばかりだった。「夢であいましょう」という案も出たが、時間の経過とともに違うように思えた。
 ある日、ご住職を訪ねた際に「『倶会一処(くえいっしょ)』という言葉がありますよ」と、教えられた。また再び一つの処で会える、という意味。その後も話し合い、「倶会一処」と刻むことに決め、デザインからその下に「ともに一つ処で会う」と意味も入れた。

 法要の日はあいにくの雨模様で「パパの涙雨かな」と話していたが、納骨のころにはあがり、みんなに見守られながら父はお墓に入った。大好きな囲碁やプロ野球をよく見ていたテレビ型のお墓なので、居心地はいいと思う。このところ雨が降ったり、雷が鳴ったり、強風が吹いたりすると「パパは大丈夫かしら」と母が心配する。

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