125回 ヴァイオリンのお別れ会

大越 章子

 

画・松本 令子

新しい主に弾いてもらうための旅立ち

ヴァイオリンのお別れ会

 福岡の山のなかの小さなホールで11月半ばに、ヴァイオリンのお別 れ会が開かれた。持ち主の井手麻沙子(まさこ)さんは2008年12月、大腸がんのために26歳で亡くなり、母の節子さんが手元に置いて娘の代わりに大切にしてきた。しかし10年近い歳月のなかで、新しい主に弾いてもらった方が麻沙子さんも、ヴァイオリンも喜ぶのではないか、と思うようになった。

 佐賀で生まれ育った麻沙子さんは2歳半から音楽教室に通い、ヴァイオリンを始めた。ヴァイオリンが大好きで、いつしか生活の中心はヴァイオリンになっていた。玉 川大学芸術学部に進学し、ゆったりとした校風のなかで多くの仲間とさまざまな活動をした。
 そのうちに留学したい気持ちがぼんやり現れ、卒業間近に参加した草津の国際音楽祭で、フランス人ヴァイオリニストのピエール・アモイヤルさんと出会い、その縁でスイスのローザンヌ音楽院に留学した。
 留学した2005年にアモイヤルさんから薦められたのが、1800年ごろにフランスで製作されたヴァイオリンだった。それまで麻沙子さんは、中学時代に購入したイタリアの新作を弾いていた。数カ月かけていくつかを試したが、やはり最初に薦められたヴァイオリンとの相性が1番よかった。
 イタリア製のヴァイオリンはさっぱりした明るい音を出したが、フランス製のそれは色彩 豊かで、バッハの無伴奏ソナタやフォーレのバイオリンソナタなど、多くの曲を弾きこんでいくうちにどんどん変わり、麻沙子さんの気に入った音になっていった。
 2008年の初夏、麻沙子さんは微熱のある体調の悪い日が続いた。なんとか試験は乗りきったが、そのうちヴァイオリンをのせる左鎖骨辺りが腫れて痛んだ。病院で診てもらうと大腸がんと診断され、手術を受けた。
 残暑が残る日本に帰国して福岡の病院で治療を受け、佐賀の自宅から通 院するまでに回復した。けれど完治は望めず、留学を続けるのも難しかった。その現実を受けとめ、病気などで音楽を聴きに行けない人たちのところに行ってヴァイオリンを弾きたい、というのが麻沙子さんの目標になった。
 ところが12月、麻沙子さんは再入院し、クリスマスの翌日に容体が急変して、27日、帰らぬ 人となった。
 数年後、節子さんは麻沙子さんの留学時代の相棒だったヴァイオリンのケースを開けてみた。駒ははずれ、膠がはげるなど、ヴァイオリンは無残な状態になっていた。東京の知人の工房できれいに修復してもらい、以後、1年に1度はメンテナンスをしてきた。

 さまざまな偶然が重なって、いまヴァイオリンは福岡の弦楽器専門店に預けてある。新しい持ち主が現れる前に、節子さんは麻沙子さんを知る人々と、ヴァイオリンのお別 れ会を開こうと思いつき、麻沙子さんの友人のヴァイオリニストの三上亮さんと、ピアニストの鳥羽亜矢子さんに演奏をお願いした。
 留学していた時、三上さんは麻沙子さんが暮らす部屋の上に住んでいて、麻沙子さんの弾くヴァイオリンの音がよく聞こえてきたという。そんな思い出話を交えながら、三上さんは麻沙子さん愛用のヴァイオリンで、麻沙子さんゆかりの曲を弾いた。
 バッハやフォーレ、武満徹のヒカ(悲歌)、ショーソンのポエム、そして最後は旅立ちを祝福してクライスラーの愛の喜び。プログラムが進むにつれ、三上さんが弾く麻沙子さんのヴァイオリンは、やさしく温かな音で会場を包み込みこんだ。目には見えないけれど、確かにそこに麻沙子さんもいて、笑顔で聴いていた。
 いい演奏家とめぐりあい、いつかどこかで、麻沙子さんのヴァイオリンが奏でる音を聴いてみたい。

 

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