132回 スイスの旅

大越 章子

 

画・松本 令子

アルプスの山々を登山鉄道に乗って巡る

スイスの旅 

 安野光雅さんの『旅の絵本 IX』スイス編(福音館書店)が6月に発売された。世界各国の風景を鳥になって俯瞰して描いた「旅の絵本」シリーズの9作目で、前作までと同様に言葉や文字はない。見開きページのどこかに必ず描かれている主人公の旅人を探しながら、まちや自然、暮らしに目を向け、人々のおしゃべりに耳を傾け、安野さん流のウィットに富んだメッセージを受け取る。
 ずいぶん前に外国へ出かけた時、安野さんは「別世界に行く」と覚悟して飛行機に乗った。けれど降り立ってまちを歩くと、そこには日本と同じような人々の営みがあった。着陸寸前に窓から見えた家並みや学校、教会、さらには人々や乗り物、牧場の牛などがいる風景のなかに人間の歴史と自然、生活への共感を描き込んで絵本にしたい。その時、安野さんはそう思ったという。
 1作目は1977年に作られた中部ヨーロッパ。それからイタリア、イギリス、アメリカ……と、馬に乗った主人公に旅をさせ、空から見下ろす目線で絵を描いてきた。しかし9作目のスイスは高い山々を描こうとするとこれまでの目線では難しく、より地上に近づいて描いた。

 スイスの旅はセントバーナード犬の産地のグラン・サン・ベルナール峠から始まる。次のページには高床式の家。そうそう、スイスには小動物の侵入を防ぐ高床式の古民家がある。マッターホルンの麓のツェルマットには、黒いカラマツ材で造られた古民家群地区があり、床と支える柱の間に円盤状の石を挟んでネズミの侵入を防ぐ「ネズミ返しの小屋」が並んでいる。
 12年前に7月末から8月初めにかけて、10日ほどスイスを旅した。飛行機嫌いの父が「スイスなら行ってもいい」と言うので、古希のお祝いに家族で出かけた。マッターホルン、アイガー・メンヒ・ユングフラウヨッホ、モンブランなどアルプスの山々を氷河急行や登山鉄道などを使って巡った。そしてマーモットやカモシカや放牧牛などに遭遇しながら、高山植物を探し、立ち止まって新鮮な空気を胸いっぱい吸い込み、トレッキングも楽しんだ。
 目の前にアイガーがそびえ立つグリンデンワルトではちょうど夏祭りが行われていて、ヨーデルやアルプホルンの演奏を聞き、民族衣装で踊るフォークダンス合わせて手拍子した。ユングフラウヨッホに向かう登山鉄道はアイガーの岩盤に掘られたトンネルを進み、停車駅での数分間にアイガーのなかからグリンデンワルトのまちを眺めた。
 中世に迷い込んだようなベルンのまちではアインシュタイン・ハウスを見つけ、大きな時計塔の下で仕掛け人形が動き出すのを待った。マイエンフェルトのハイジの山をハイキングして、レマン湖では遊覧船から大噴水を眺め、湖畔のぶどう畑を訪ね、シヨン城の地下の牢獄に身震いした。
 スイス編の『旅の絵本』のめくっていると、いつの間にか自分自身が旅人になって、アルプスの旅がよみがえってくる。あんなに飛行機を嫌がっていた父は、スイス旅行を機に飛行機が好きになり、そのあと、カナディアンロッキーも旅した。「次はニュージーランド、それにもう一度、スイスに行ってもいいなぁ」と話していたが、それはかなわなかった。
 フランスのギュスターヴ・クールベの「山小屋」の絵はがきを供えた仏壇のそばに買ったばかりの『旅の絵本 IX』を置いた。

そのほかの過去の記事はこちらで見られます。