146回 ゆきこおばさんの死

大越 章子

 

画・松本 令子

祖父母たちの時代にピリオドが打たれる

ゆきこおばさんの死

 親戚のゆきこおばさんが亡くなった。ほんとうの名前は行で、子はつかないけれど、みんなから「ゆきこばちゃん」と呼ばれていた。3月に100歳になり、それからも自宅で変わらず暮らしてきた。けれど夏の暑さが堪えたのか、自室のベッドで過ごすようになり、その朝、静かに眠るように逝った。食事は前日までいくらかとっていたという。
 訃報を聞き、祖父母たちの時代にとうとうピリオドが打たれたようで、なんとも寂しい思いにかられた。と言うのも、ゆきこおばさんは「まけうち」の祖父母世代の最後の1人だった。まけうちとは親族や一族を意味するいわき語(方言)で、祖父たちはいわき語を日常的に使いこなしていた。
 ゆきこおばさんの家の隣は祖父の家、その隣は曾祖父の実家というように、界隈にはまけうちの家々が並んでいる。それぞれの庭を通って互いに行き来し、農業を営んでいたということもあるのか、さまざま協力して暮らしていた。
 例えば、つみ穀というしくみ。いつごろ始めたのかはわからないが、まけうちの各家でお金を出し合って積み立てて、まとまったお金が必要な時に借りられるようにしていた。いまでは必要に迫られることはそうないが、敢えてだれかが借りて存続させている。つみ穀の報告など年に数回は集まりを持ち、まけうちのつながりを保ち、深めている。
 祖父母が元気なころは毎日のように、まけうちの人たちが1人2人と集まり、漬けものやその時々の季節のものをお茶菓子に、だれがどうしたこうした、昔はどうだったなどと、世間話をしていた。
 わぁ、しゃで、ばんたろうなど、いわき語がぽんぽん飛び出し、話題が次々変わって広り、傍らで聞いていても子どもにはちんぷんかんぷんだった。しかしいつの間にか、わぁは「あなた」、しゃでは「弟」、ばんたろうは「夕食の準備」などとわかり、話の内容もある程度察しがつくようになった。
 年を重ねても、まけうちの祖父母世代はとっても元気でにぎやかだった。3人集まればかしましく、それが7、8人となると、それはもう大騒ぎだった。お茶を飲みながらの世間話、それに畑作りがそれぞれの元気の素になっていたのだろう。太陽の下で土にふれ、野菜を育てておすそ分けもする。体を動かし、巡る季節も感じられた。
 
 「この人たちは永遠に元気なのかもしれない」。そんなふうに思っていた。けれど20年ほど前から、その世代がぽつりぽつりと欠けていった。祖父は15年前に93歳で、祖母もその翌年に86歳で亡くなった。そして数年前、ゆきこおばさんは最後の1人になった。相変わらず野菜を作り、庭の草むしりをし、猫をかわいがって過ごしていた。
 ある時期、家族に勧められて週に2回、デイサービスに通ったこともあったが、やっぱりお茶を飲みながらの世間話とは勝手が違うようだった。100歳の誕生日の朝に訪ねた時は、茶の間の椅子にいつもと同じに座っていて、カメラを向けると「だめ、だめ」と照れながら笑顔を見せた。
 死に顔はとても穏やかで、しあわせそうに笑みを浮かべ「さよなら」と言っているようだった。きっと赤ちゃんの時に亡くなった次男、20歳ぐらいでバイクの事故に遭い他界した三男、十数年前病死した頼りにしていた長男、それにご主人の民五郎さんが揃って迎えに来たのだろう。
 天国では再び、祖父母たちまけうちの面々とにぎやかなお茶のみ話を再開するに違いない。告別式を終え、祖父母たちの時代の終焉を実感している。

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