154回 2020年の夏 

大越 章子




画・松本 令子

「あなたはどう生きてきましたか」の問い

2020年の夏

 盆の入りの8月13日の早朝、テレビをつけると、サミュエル・バーバーの「弦楽四重奏曲 ロ短調 作品11」が始まるところだった。長野県上田市にある「無言館」で、戦没画学生たちの絵に囲まれての演奏。十字架の形をした建物のまんなかがステージになった。
 この弦楽四重奏曲は変則的な二楽章構成で、作られた翌年の1937年に、第二楽章がオーケストラ用に編曲されて「弦楽のためのアダージョ」と名づけられた。静かな和音が響くなか、まずヴァイオリンがゆっくりメロディを奏で、ビオラ、チェロと渡されていき、深い悲しみが辺りを覆う。
 連日、猛暑が続いていて、その日も数時間後にはうだるような暑さになる予報だった。まだ涼やかですがすがしい朝の空気に弦楽四重奏曲が混じり合い、広がる透明感に包まれた。

 3日後、盆明けの夜には前の週に見逃した、無言館をとりあげた「日曜美術館」の再放送を見た。館長の窪島誠一郎さんが戦没画学生の遺作を集め始めたのは戦後50年の1995年、それから25年が経つ。窪島さんは弦楽四重奏曲の奏者たちと同じように、無言館の展示室のまんなかで思いを語った。
 洋画家の野見山暁治さんの「戦後の人生のなかで大きな忘れものをした」という言葉をきっかけに、窪島さんはなにかに駆り立てられるように、戦没画学生の遺族を訪ねた。屋根裏や押し入れからひび割れ、傷ついた作品が現れると、止まっていた時間が眠りからさめ、動き出すようだったという。
 戦争が暗い影を落とし、自らの出征も迫ってはいても、画学生にはそれぞれ青春があり、死を覚悟しつつ自分の一番大事なものを描いた。「明日も生きて絵を描きたい」と望んでいた画学生の絵は「あなたはどう生きてきましたか」「あなたはなんのために生きているのですか」と、問いかけてくる。

 年の初めまで東京オリンピックに彩られていた2020年の夏は、新型コロナウイルスの影響でいつもとは違う夏になった。長い梅雨のあとに続く猛暑、酷暑は、地球が力をふりしぼって悲鳴をあげているようでもある。そして終戦から75年が経ち、いまだから語られる、伝えなければならない番組や記事をさまざま目にした。
 アメリカの従軍カメラマンのジョー・オダネルさん(故人)が長崎で撮った、背中に死んでしまった弟をおんぶして火葬の順番を待つ「焼き場に立つ少年」、アウシュビッツ強制収容所のガス室跡地に埋められていた謎のメモの最新技術での解読、原子の力を使った新型爆弾の可能性を探る密命が下って、研究を続けた京都大学物理学研究室の科学者たちの複雑な思い…。
 『アンネの日記』のアンネ・フランクがもし生きていたら、90代前半になる。長い間、沈黙を貫いてきたアウシュビッツのアンネ世代の生存者たちがいま、積極的に当時の記憶を伝えている。それは抵抗と勇気の壮絶な体験談で、あらためて自由と平和の尊さを痛感させる。戦後百年に向け、記憶の継承に重きが置かれている。
 吹く風や空に秋の気配を感じる。2020年の夏が終わりに近づいている。

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