456号


まちをつくる 

 石崎さんには楢葉町だけではなく、双葉郡、そして浜通り地方をどうやって復興させていくか、という思いが強い。それに不可欠なのは地域を超えた民間による広域連携だという。それを学んだのが、福島イノベーション・コースト構想のモデルともいえる、アメリカワシントン州のハンフォード地域の視察だった。
 ハンフォードはかつて、アメリカのマンハッタン計画でプルトニウムの精製が行われたところで、いまも除染作業や建物・タンク解体作業などが行われている。まちづくりのベースになっているのは、廃炉・除染を進めながら同時並行的に「住みたいまちづくり」というキーワードを掲げて各種団体が連携していること。基本としているのが平等、透明性、信頼関係の確立で、教育研究機関と地方自治体を調整する役割として、「トライデック」など地元の民間機関が入っている。石崎さんは「そのなかに熱い人が3人いる。それは地域全体の利益になることをきちんと誘導できる人でなければならず、キーワードは広域連携と人。浜通りにもトライデックのような組織をつくらなければだめ」と力説する。
 浜通りの活性化でネックになっているのは、国や県の「原子力被災12市町村」というとらえ方で、そこにいわき市は入っていない。石崎さんはイノベーション・コースト構想や国際教育研究拠点が、あくまで双葉郡前提であることを指摘し、「いわき市は少なくても双葉郡と連携をして、浜通り全体を底上げするように持っていかなければならない。そうでないと置いていかれてしまう。いわきを本当に救いたいのだったら、双葉郡と組んで浜通り全体を底上げしなければいけないんだと、国と県にプッシュし続けないとだめだと思う」と話す。
 行政の限界も指摘する。行政は「おれはおれで生きていく」という思いが強い。その象徴が、平成の大合併のときに双葉郡八町村が合併せず現状を維持したことだという。それは発電所があって、それぞれが固定資産税や法人税などが入るからなのだけれども、人口は双葉郡八町村でも7万5千人ぐらいしかいない。しかもあれだけの事故が起こったというのに、「おれはおれで生きていく」という路線が続いている。
 石崎さんは「行政は自分の計画をつくって国の補助金や交付金が出るから金太郎飴になってしまうのだけれども、それは行政に任せ、民間主導でいろいろな計画を出し、そこに行政も支援できるように持っていかないと地域づくりというのはうまくいかないのではないか。いわきが単独で生きようとか双葉郡単独で生きようなんて思っちゃだめだと思う。相馬、新地まで入れて、福島県の海側、浜通りと言われているエリア全体を良くしていく、と考えるべき。そうすれば役割分担も出てくる。こういうことが起きたんだから広域的に連携しましょう、ということが大事」と言う。
 
 では、具体的に何が必要なのか。いろいろなところでさまざまな動きが出ているのだけれども、それをつなぐ人材や組織が機能していかないので点のままで止まってしまい、点が線になって、大きな波へとつながらないのだという。
 石崎さんは徳島県を訪ね、IT企業などが進出している海沿いの美波町や山間部にある神山町を視察したときに、徳島市といわき市を比べ、いわきが埋没しているのではないかと思ったという。そして「いわきの人たちは双葉郡のことを見ていないし、海があって山があって温暖な気候ということで満足しているのではないのか。このままでは、知らず知らずのうちにゆでガエルになってしまうかもしれない」と警告する。
 国は官民合同チームと言われている相双復興推進機構をつくり、県は福島イノベーション・コースト構想推進機構、東電は地元企業を使うための委員会のような組織を立ち上げ、それぞれがバラバラにやっている。一応かたち的には「地元企業を優遇している」との趣旨だが、自分たちが都合のいいように運営しているだけではないのか—。そうした現実が、石崎さんのジレンマになっている。
 「1人で立派な活動をしている人がいる。それを組織化し、本当の地元の声を代表する組織をつくる必要があると思い、東日本国際大を基盤に浜通りトライデックを立ち上げた。しかし、理解されるまでには時間がかかると思っている。何年かかるかわからないけれどもずっとこちらに居続け、見続けて熱い1人になれれば、と思っている。さまざまなものをつなぐお節介ジジイでいいんです」と石崎さんは話す。