特集 この11年 |
浪江町
福島県浜通り地方のほぼ中間に位置する浪江町は避難指示解除区域(町役場や国道6号付近)、災害危険区域(請戸など海岸部)、帰還困難区域(津島など山間部)に分かれている。昨年3月に「道の駅なみえ」などがオープンしたが、帰還率は8%にも満たない。2011年の震災前と震災後の浪江町。以前の風景を思い出しながら、この11年を振り返る。
追憶 3.11
浪江という町
この11年
いまを歩く
浪江町大字請戸
海岸から300mのところにあった請戸小学校は校舎2階の床まで津波がきたが、1キロほど離れた大平山に避難して、子どもたちも先生も全員無事だった。昨年10月から、請戸小の校舎が震災遺構として一般公開され、当時の避難した様子や津波に襲われた状況などを伝えている。
2011年3月11日の請戸小学校
トラック運転手 國玉雅英さんのはなし
絵本 『請戸小学校物語 大平山をこえて』
震災遺構「請戸小」を訪ねた
浪江町大字権現堂
権現堂は浪江町の中心部で、いりの舎の三原由起子さんのふるさと。三原さんにお願いされて歴史学者の西村慎太郎さんは『「大字誌浪江町権現堂」のススメ』(いりの舎)を出版した。その本と出版を記念して開かれたシンポジウムでの三原さんと西村さんの話から、大字誌をまとめる意味を考える。
『「大字誌浪江町権現堂」のススメ』のはなし
三原由起子さんのはなし
西村慎太郎さんのはなし
連載 |
時空さんぽ 再び 〜磐城平城を訪ねて(23)
其の二十一 御殿・弐
阿武隈山地の万葉植物 湯澤 陽一
(54)ヤマザクラ
ひとりぼっちのあいつ(34) 新妻 和之
教えることは学ぶこと①
DAY AFTER TOMORROW(229) 日比野 克彦
ウクライナ侵攻
一人ひとりがどうすべきか考えよう
コラム |
ストリートオルガン(169) 大越 章子
ユージンからのメッセージ
時に1枚の写真がわれわれの意識を呼び覚ます