068回 交響曲第1番(2013.1.1)

大越 章子

 

画・松本 令子

漆黒の深い闇に光る平凡な幸福の灯火

交響曲第1番

 ここ数カ月、仕事のほかは自室に籠もり、ある女性の半生と向き合い、ひたすら原稿を書いていた。
  取材をほぼ終え、一昨年から書き始めた原稿だった。中盤にさしかかったところで震災が起き、1年以上、中断していた。新緑のころに再開したものの、気持ちを引き戻すのに時間がかかり、秋になってようやく後半に入った。
  女性の半生を辿る原稿だが、根底には1つのテーマがある。後半はもう1つ「生きる」というテーマが加わり、2つを違和感なく紡ぐことを心がけながら、佐村河内守さんの「交響曲第1番〈HIROSHIMA〉」を友に書き進めた。
  自室で原稿を書く際は、CDをかけている。その時々、原稿の内容によって曲は異なるが、何かしら音楽を流していることが多い。女性の半生は前半がチェロの小曲集、中盤がリベルタンゴ、そして後半に入って交響曲第1番だった。

  「交響曲第一番」はたまたまつけたテレビで知った曲で、美しく、雲間からさす光が見え、すぐにCDを注文した。その時は「HIROSHIMA」の名がついていることも、佐村河内さんが歩んできた道も、曲に込めた思いもわからなかった。
  届いたCDをかけながら、解説を読み、佐村河内守さんが広島の被爆者2世で、4歳から母にピアノの英才教育を受けたことを知った。10歳の時に「もうお母さんが教えることはない」と言われ、以後、作曲家を目指して独学し、35歳で耳がまったく聞こえなくなり、その後に「交響曲第1番」を作曲したという。
 3楽章からなる曲はそれぞれ「運命」「絶望」「希望」とされ、暗鬱で重々しく、苦悩や悲哀、葛藤に満ちているが、静謐な壮大さがあり、まっ暗闇であってもそこには見えない希望の光が存在する。数度、聴いてから、原稿を書く時にかけてみた。
  音楽が流れていても、原稿に集中している時はまったく聞こえない。一息つこうと気を緩めたとたんに、耳に入ってくる。「交響曲第1番」の場合、不思議と、頭の周波数と音楽が呼応するように、各楽章の気に入ったメロディのところが聞こえた。
  原稿の最終盤は3日間、自室に缶詰になって原稿をしあげた。その間もずっと交響曲第1番をかけ続け、書き終えてもしばらくの間、曲が耳に響いていた。 

  ここ数日、取り寄せていた佐村河内さんの自伝『交響曲第一番』を読んでいる。高校時代からすさまじい偏頭痛に悩まされ、現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、理解者である弟を交通 事故で亡くし、その後、激しい耳鳴りに悩まされ、やがて両耳とも聞こえなくなった、壮絶な半生が本人の言葉で綴られている。
  そうしたなか、佐村河内さんは17歳から挑み、それまで書きあげていた12番までの交響曲をすべて破棄し、全聾になった翌年の2000年から「交響曲第1番」の作曲に取りかかった。
  佐村河内さんの両親はどちらも爆心地から3kmの場所で被爆した。被爆者2世だからこそ、悲劇を音で語り、伝えようとした。漆黒の深い深い闇に見える小さな光。それは平凡な幸福という。絶望の闇を通 して、佐村河内さんはその小さな光の大切さを知った。
 「真実は闇の中にこそ隠されている」。そう語っている。 
  オーケストラの奏者たちは「交響曲第1番」を演奏しながら涙が自然に流れるという。いわきの地で生で聴きたい曲で、多くの人のこころに希望の鉦が鳴り響き、きっと小さな光の灯に共感できると思う。

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